特別対談:教会を生み出す教会:3

大橋

ブレザレンでは昔から特別な牧師や教職者ではなく、誰もが家々でパンを裂き、説教ではなく聖書朗読がされ、読まれたことに人々が応答していくというスタイルで主の日を過ごしてきました。
歴史的に振り返れば、それが一番近いモデルかと思いますね。

資格や制度の問題は一番最後の段階で「じゃあこれどうしようか」と考え直せばいいんですよね。
我々がそれをどう捉えて来たのか、あるいはどう捉え直せるのか、と。
そちらから先に入って最初に考えてしまえば、前進できないでしょうね。

私たちのセルでも、グループのなかで聖餐式をやるならこんなスタイルでやりなさい、と示していますが、するかしないかは当人たちの選択です。
ただ、多くの牧師たちは、どうしてかそこから始めたがる。
「信徒たちにやらせてよいのか悪いのか」といった考え方から入ってしまう。

福田

万人祭司を標榜するなら、祭司として扱う必要がありますよね。
牧師の目の届く範囲のことしか許さないとなると、目配りできるサイズにしか教会は大きくならないし、地域に弟子が満ちるのは無理。
目の届かないところで聖霊がすべてをコントロールしていると認識できるかどうか、です。
セルやハウスチャーチのなかに「恐れるな、小さな群れよ」と言われるイエス様がいらっしゃる。
自分たちで聖書を読んで解釈し、自分たちで直接イエス様から聞けるようになっていかないと、結局リーダー依存になってしまいます。

牧師の役割は大雑把に言えば、「触媒」だと思います。
ですから信徒が牧師の意見に対して、「けど、私の職場では、そのままではうまくいかない」とか、そういう意見が出せる環境じゃないと、自立的に育ちません。
そうやって互いに学びあうかたちにならないと、分散型にはなっていかない。

大橋

そうですね。分散型は、たとえば一つの群れが二つに分かれたとき、単に1と1になるだけでは意味が無いわけ。
それぞれが1・5くらいにならないと効果として表れない。
多くの教会のスモールグループは、単に10人を5人ずつ分けただけで、総量は変わっていない場合が多いですね。
だから結果が変わらない。

福田

雪が積もった場所で足を滑らせて倒れた人がいて、その人の手だけが雪の上に出ていたら、後から通りかかった人は手だけではなく体全体を引き出して助けるはずです。
ラルフ・ネーバー(「セル教会ガイドブック」著者)はそれがオイコス伝道だといいます。
人はみな人間関係のネットワークの中にいるから、そのネットワーク全部を引き出して救おうという考え方です。
これはチャーチプランティング(教会開拓)の原則でもあるんですね。
救われた人を自分のところに連れて来るのではなく、その人たちがすでに持っている日常の交わりの中で教会を新たに始めるわけです。
世間、つまり、年賀状を出し合う人たちのなかで教会を始めていく。
だから15人になったら二つに分けましょう、ではなく、むしろ15人になるまで新しい教会をリリースしなかったことを悔い改める、という考え方です。

私はもともと伝統的な教会観で牧会していましたが、自分の教会をハウスチャーチに変えていくのが、一番時間が掛かって大変でした。
自分自身も変わらなければならないし、教会の人も変わらなければならない。私が変化するスピードが速すぎると、「ちょっと待って」ということになる。
でも平均寿命が3年半なら、教会から離れていた人たちもいるわけで(笑)、そういう青年たちをトレーニングしたら、それまでよりも早く教会開拓が進みました。
開拓された教会で救われた人たちが起こされると、その人たちを通して、さらにダイナミックに人々が救われ始めました。
より新しい土台の上に教会が建てられるようになったからです。
世代が下るほど変化が早く進む。新しいDNAで動き出す。

大橋

既成の教会が今、変化を求められているわけですけれど、その必要に気付いていても、変化すべき方向自体が明確になっていないとまず思いますね。
そこにヒトデ型、セル、ハウスチャーチなどを前提にしても、受け止めかねる人が多いと思います。

ですからまず最先端にいる信徒たちから変化を始めていかないと。上からトップダウン方式に「これからはこういう教会形成します」と提唱しても、そのトップダウン方式自体が今までやってきたスタイルだから変わるはずがない(笑)。
どこからどう変えるのか、変えるべき方向はどちらなのか、教団や牧師たちはそれらをもう少し勉強・議論していく必要があるのでは、と思います。

日本の教会はいつも「原則」ではなく「モデル教会」を見つけようとして、諸外国で大きな教会の主任牧師を呼んで講義を聴き、「ああ、そのやり方が良いのか」と真似しようとして、そして十中八九成功していないわけで(笑)

福田

牧師の書斎には、ファイルがもう一つ増えますけどね(笑)

大橋

だいたい、そんなことですべてが飲み込めるわけじゃないんだから。
モデルではなく原則ですよね。
原則を分かって、「ああ、信徒たちに働きをもっと委ねていくんだ。自分もそこに降りていくんだ。必要なら自分も一つのグループのなかに入って一緒にやるんだ」というところまで理解がいけば、残りは後から付いてくる、後から処理すればよい。
その結果、もしかするとその原則を教えてくれた教会とは違う教会ができるかもしれないけど、違ってもいいわけ。
けど、どうしても大きい教会のモデル探しばかりしちゃうわけですよ。

福田

教会にいろいろ問題があっても、人が救われてくると大体解決してしまうんですよね。

大橋

そうです! すべてはそれだと思う。
逆にいえば、教会に問題が起こるのは新たに人が救われてこないから。

福田

「わぁ、これって神様だよ」というワクワクドキドキを経験してもらうのが大切だと思います。
スキューバダイビングでもプール実習があって、そこで「あ、こんなに体浮くんだ。これだったら海に行ってみたいな」という思いを持ち、海に出たらインストラクターに付き添われて、ちょっとドキドキしながら楽しさを体験していく。
同じように聖霊に期待しながらドキドキしながら伝道していく、そういう仕組みがあると良いと思います。
私のところでは伝道実習をトレーニングのなかに必ず入れていて、無理やり伝道させるんです(笑)。

牧師先生方に「教会をしていて何が一番嬉しいですか」と聞くと、たいてい「人が救われる現場にいることだ」っておっしゃいます。
その喜びを牧師が独り占めしていたら不公平ですよ。
みんながそれを経験しないと。
そうして宣教の情熱が与えられてくると、手法は後から付いてくるんです。

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