その6 父への質問

双方向の会話

こちらが口を挟む余地がないほど立て続けに話し、話し終わるとさっさと切り上げてしまう一方的な電話を受けたことはないでしょうか。私は長年、そういう一方的な祈りをしていました。

自分が言いたいことを言い終えると、ガチャンと受話器を置く代わりに、「アーメン」と唱えて突然イエス様との会話を終了させていました。失礼な話です。イエス様は、歌の文句ではないですが、「俺の話を聞け。2分だけでもいい」と思っておられたかもしれません。

私たちは多くの場合、マルタのように、いろいろなことを心配して気を使っています。しかし、人生で必要なただ1つのことは、マリヤのように「主の足もとにすわって、みことばに聞き入」(ルカ10:39)ることなのです。

 

では、神様に語っていただくためには、どうすればよいのでしょうか? 1つの有効な方法は、質問することです。

それで、天外内トレーニングでは毎朝、「喜びの表現」をした直後に、神に向かって6つの質問をするように勧めています。

朝起きてすぐに 6つの質問をする

まず、「天」との関係について2つ質問します。

第1に、「お父さん、私のことをどう思っておられますか?」と質問します。

以前、沖縄でトレーニングをしたときに、ある牧師先生が参加されました。彼はこの練習を始める前に、神様が厳しいことを言われるのではないか、と思ってドキドキしていたそうです。けれども練習後、「叱られると思っていたけど、やさしい言葉をかけていただいて、ホッとした」とおっしゃっていました。

父は、御子イエス様の血であがなわれた子どもたちに、親しく語りかけてくださいます。「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」(マタイ3:17)とか、「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ43:4)とか、「あなたの声は愛らしく、あなたの顔は美しい。」(雅歌2:14)などと語られるでしょう。巧みに愛情を表現される神様との会話を、毎朝楽しんでください。父はあなたが何かを成し遂げたからではなく、ご自身の子どもだから愛してくださるのです。

 

第2の質問は、「お父さん、今日、私にしなさい、とおっしゃっていることは何ですか?」という問いです。普段から導かれていることに、今日も誠実に取り組むようにと念を押されることもあるし、何かを新しく始めるようにと勧められることもあります。このような記事を書いているのも、ある朝父が、「書き始めなさい」とおっしゃったので書き始めました。

また、「心配するな、私がする。」とか、「あなたが恐れていることは起こらない。」などと、私たちの信仰を養う言葉を語られることもあります。

第1の質問の答えを聞いているうちに、第2の質問の答えまで一気に語られることもあります。たとえば、「おまえはすでに祝福の源とされたのだから、今日は××さんの所に行って、よく話を聞いてきなさい。」という具合にです。

 

第3の質問と第4の質問は、「外」つまり、世界に対してどう関係を持つかということに関する質問です。

まず、「今日は誰に、どのように仕えればよいでしょうか?」と尋ねます。「人にではなく、主に仕えるように、善意をもって仕え」(エペソ6:7)させてください、そして、具体的に誰にどう仕えるべきかを示してください、と祈ります。

世の中には、人を利用しようとする人はたくさんいますが、喜んで仕えようとする人は稀です。自分の話をしたい人はいても、親身になって話を聞く人はあまりいません。たとえ不利益を被っても誠実な友だちであり続けようとする人が、どれだけいるでしょう。

イエス様は、ザアカイの客となられました。「誰にも必要とされていない」と感じている人たちが、私たちの周りに満ちています。私たちはイエス様の代理として、彼らの所に出て行き、平安を祈り(創世記12:2参照)、一緒に食事をし(ルカ10:7参照)、彼らのニーズを満たし(マタイ25:31-46参照)、病人をいやし(ルカ4:18-19参照)、「失われた人を捜して救う」(ルカ19:10)ようにと召されているのです。

 

次に、「今日は、誰に、どのように、どんな言葉で証しすればよいでしょうか?」と聞きます。その日、未信者の方に会う予定があるなら、その人にどう働きかけるべきかを具体的に尋ねます。その時に分かちあう短いフレーズまで教えてもらっておくと、実践で役立ちます。

たとえ、何も具体的に語られなかったとしても、朝起きてすぐに「群衆を見て、羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている彼らをかわいそうに思われた」(マタイ9:36)神の心を、確認することは有益です。

 

第5の質問と第6の質問は、自分の内面と、信者仲間の内輪の関係に関する質問です。

まず、「24時間以内に私は罪を犯したでしょうか? 悔い改めさせてください。」と祈ります。父は、私たちが成長して「キリストの満ち満ちた身たけにまで達する」(エペソ4:13)ことを楽しみにしておられます。

「自分のそむきの罪を隠す者は成功しない。それを告白して、それを捨てる者はあわれみを受ける。」(箴言28:13)神の前で自分を点検し、罪が示されたなら正直に告白します。そのことで、私たちは清められ、成長するのです。

性的な誘惑に陥らなかったか、金銭、時間、能力・賜物を御心に従って管理したか、つぶやかなかったか、隣人に対して善を図ったかを、毎朝チェックして告白します。

最後に、「信者の仲間や宣教チームのメンバーに対して、どのように愛を示したらよいでしょうか?」と質問します。

「兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。」(ローマ12:10)とパウロは教えます。兄弟愛に対する戒めは、各書簡の最後に念押しのように頻繁に記されています。

「もしあなたがたの互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。」(ヨハネ13:35)とイエス様はおっしゃいました。

世の人々は、自分たちに向けられる愛の行為だけでなく、信者同士の関係を見て、キリストの姿を思い浮かべます。毎朝、誰に、どのように愛を示すかを聞いて、それを実行するなら、そのこと自体が宣教の働きともなるのです。

このような毎朝の神との会話を、「天外内デボーション」と呼んでいます。

次へ

その6 父への質問” に対して1件のコメントがあります。

コメントは受け付けていません。