特別対談:教会を生み出す教会:各論4 最終回

「持たざる教会」をいかに蘇らせるか

大橋

マタイ13章12節で主が「持っている者はさらに与えられて豊かになり、持たない者は持っているものまでも取り上げられてしまうからです」と言っているけど、私はこの言葉が今、日本の教会にとって重要な意味を持っていると受け止めています。

いろいろな統計やレポートでも高齢化で消えていく教会が毎年二桁出ているけど、一方で二桁で教会が増えている。
そのなかで気になった報告は、大教会のブランチとして開拓されている教会が増えていること。
それが意味しているのは、まさに持っている者は与えられて豊かになり、持たない者は持っているものまで取り上げられるということ。
その現実にパッと気付いた。

日本基督教団が02年に200の無牧教会を抱え、10年後には500となると言われています。
まさに今あるものも取り去られる。

けれど新たに救われる人や献身者もいる。
それを生み出しているのは大きな教会。
一般社会でも「勝ち組・負け組」というけど、その傾向は教会成長についても同じ。

こう考えると、持たざる教会をいかに持てる教会にするかが非常に大事な問題。
いかにその教会を蘇らせるか、リバイバルさせるか。
ただそれをおまえにできるのかと言われれば、特効薬を持っているわけではないけど、目のつけどころとしては、そこが大事なポイントになってくるんじゃないかと思います。
私たちはどちらかといえば、新しく何かを生み出している教会に目が行きがちで、それは華々しくていいんだけど、一方でそういう現実もある。

福田

目的は弟子が満ちること。社会が変革されること。
「水が海をおおうように、地は、主の栄光を知ることで満たされる」(ハバクク2・14)ことですよね。

そのためには、既存の教会の成長を助ける「改築型」と、更地の上に新しく家を建てる「新築型」の、二つのアプローチがあります。
これは善悪の問題ではなく、召しの問題です。

教会のタイプは違っても、同じ神の家族です。
イエス・キリストという共通の土台の上に建てられています。
双方とも神に愛され、期待されています。
だから、互いに違いを認めて祝福しあい、仕えあうことができればなあ、と思います。

新しいタイプの教会は、伝統的教会から学ぶことがたくさんあります。
ムーブメントの拡大に連れて、歴史の中で、神が神の民とどう歩んでこられたのかを知る必要に迫られます。
そういうときに、伝統的教会の経験や思索の蓄積が物を言います。
一方、伝統的な教会は、新しいタイプの教会を見て、文化ギャップを感じるかもしれません。
しかし、そこに吹いている新しい時代の風を感じ取っていただきたいのです。

大橋

伝統的教会がどれだけそれを受け入れられるか、という問題もありますね。

福田

歴史を振り返ると、伝統的教会が取る態度は、3種類に分類できます。

一つは、迫害。
もう一つは「私は私。あなたはあなた」と言う棲み分け。
最後に、「しっかりやりなさい」という応援。

これらの三種類の態度が常に存在するという理解に立った上で、新しいタイプの教会は、敬意をもって先輩の諸教会に応答しなければなりません。

大橋

ベルカーブでも常に反対する人は16%いる、というのがあって、そういう人は置いておかなければいけないんだけど(笑)。

ただ、変化をもたらすためには、どこかで積極的に働きかけて、エンジンを始動させるセルモーターのような役割が必要なわけです。
それを時代や歴史の流れに任せておくと、個々の教会が世の中の企業のようならいいけど、キリストの体としての教会を考えたとき、「ま、あそこはもたない教会だからいいよ。今あるものさえなくなるよ」と冷ややかな目で見て入られないわけで(笑)。

どこかでエンジンを回してあげる必要があるかな、と私は考えているわけです。
この役割を一時期は神学校に求めてみたけれど、ある人から「神学校ではそこまでできない」と言われました。
卒業生に継続教育していく機会がなければ、気がついたものだけが成長していくということになってしまう。
キリスト教界全体を見渡したとき、日本の教会はそのへんに手をつけないと、もっともっと長い時間をかけないと変われなくなってしまう。

福田

セルモーターは速く回らないと、エンジンがかかりませんね。

大橋

回らない(笑)。
そのへんの配慮が大切かなと思います。
牧会的な配慮をあまり抱え込んじゃうと、ゆっくりしか回らないので。

福田

いきなり全員で動こうとして、説得工作をしても、新しいことは始まりません。
少数の意識の高い人たちが、今できることから手をつけていき、身をもって証明するという道しかないのだと思います。

私は牧師先生と話すときは「今までやってきたことを%続けてくださって結構です。でも、今日から5%だけ、いや、たとえ1%でも、新しいことに挑戦し始めて下さい」とお勧めします。

また、パイロットプロジェクトを組むことを提案します。
稲の改良種を試すときには、いきなり全部植え替えるのはリスクが高いので、まず試験田で部分的に試してみて、そこでうまく育つことが確かめられれば、他の田地にも植えていきます。
ステップを刻み、小さな証明を積み重ねることが鍵だと思います。

大橋

今、JCGIネットワークで取り組んでいるのも、ほとんどそういったところから始めるように指導しています。
できればそこから教会増殖に入っていくスタイルですね。
2006年に研修を終えた牧師たち6教会が中国地方で新しい教会増殖ネットワークを始めてます。これをやってみて、ああ、このスタイルが一番いいかな、と思います。持ち帰って、さあこれからやりましょうでは、やっぱり、そのうち本箱の肥しになって“積読(つんどく)”になっちゃう(笑)。

日本の場合は、これまである意味で無批判…といったら語弊があるかもしれないけれども、西洋的な思考、伝統、文化をそのまま受け入れて教会形成してきた。
神学もそういう上に立っている。

西洋人にとっては帰るべきところは確かにあるんだろうけれども、我々の場合は、そういう意味では帰るところがない。
原点に帰ろうとしたときに、やっぱり聖書まで帰らなければならない。
それは素晴らしいことなんだけれど、そこから始めるということは、広い意味で言えばリバイバルかもしれないけれども、日本の教会形成のあり方から始めて建て上げていくということ。
そして何か一つのモデルなり、スタンダードなりを作り上げていくという作業が必要なんじゃないかなと私は思います。

(終わり)

特別対談:教会を生み出す教会:各論4 最終回” に対して1件のコメントがあります。

コメントは受け付けていません。