■やっと気付いた

今日、久しぶりに、あるクリスチャンの友人と話した。信仰歴13年。今は大変な試練の中にいる。先日、歩きながら祈っていた時に、3つの発見をしたという。

1つ目は、自分が祈る対象である神がおられる、と確信したこと。もちろん、それまで信じなかった訳ではない。しかし、そのときには、今までにないリアリティがあった。

2つ目は、自分の罪が、イエス様の十字架の身代わりの犠牲のゆえに、完全に赦されていること。それも知っていたことだが、具体的に、あの罪も、この罪も、残らず赦されているということが、はっきりわかった。

3つ目は、神の実在、そして罪の赦しを確信できるのは、神の霊が自分に働いておられるからだ、ということ。この聖霊が、自分をさらに正しく導き続けてくださる、とも思った。

とんでもない試練の中にいる友の顔は輝いていた。

 

ローマ人への手紙8章18節
今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。