■お気楽に生きる

 

昭和39年から昭和44年まで、NHKで「ひょっこりひょうたん島」という人形劇が放映されていた。僕はその大ファンで、小学校低学年のときには、ほぼ毎日欠かさず見ていた。

どの登場人物にも魅力があった。サンデー先生もダンディーもトラヒゲもプリンちゃんも素敵だったが、僕的には、何といってもドン・ガバチョが1番だった。

「きょうがだめなら あしたにしましょ あしたがだめなら あさってにしましょ あさってがだめなら しあさってにしましょ どこまでいってもあすがある」

これは有名な「ドン・ガバチョの歌」だが、この気楽さ加減が、何とも心地良かった。気楽さと言えば、植木等が歌った「黙っておれについて来い」(青島幸男作)も、その頃はやった。

「金のない奴ぁ、俺んとこへこい俺!もないけど、心配するな 見ろよ青い空、白い雲そのうち何とか、なるだろう」

経済白書に「もはや戦後ではない」と明記されたのが昭和31年。それから8年たった昭和39年に東京オリンピックが開かれた。「ひょっこりひょうたん島」が放映されたのはその年だ。

その翌年から、大阪万博があった昭和45年までは「いざなぎ景気」と呼ばれ、日本が敗戦の混乱からかけ上がっていった時代だ。ひょうたん島の放映期間とほぼ重なる。

「ドン・ガバチョの歌」や「黙っておれについて来い」に特徴的な「スーパー楽天主義」は、GNP伸び率が毎年10%を超えるという高度経済成長時代を映し出している。

しかし、歴史が示すように、いつまでも問題を先送りにはできない。また、空を見ていれば何とかなる、というわけでもない。

お気楽に生きるという心の態度には、精神医学的にも積極的な意味があるとは思うが、明日を信じるに足る確かな根拠があるか、という点に目をつぶるわけにはいかない。

日本人の「まあ、いいか、何とかなるでしょ」という楽天的な考え方に、聖書の約束が裏付けられるなら、なんかいい事起こりそうな感じだなあ。

 

エレミヤ書29章11節
わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。–主の御告げ。–それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。