■心の歌
スウェーデンの宣教師が強い影響力を及ぼしていた教会に行ったことがある。そこでは、「輝く日を仰ぐとき」と題する賛美が歌われていた。私もこの歌が嫌いではないが、元々スウェーデンの民謡だということを知ったときに複雑な気持ちになった。
宣教師にとっては、子どもの頃から聞いていたなつかしい歌だったに違いない。いわば彼らの「心の歌」である民謡を用いて、神に対する愛と信頼を歌っていたのだ。それがもっとも自然だし、気持ちも込めやすい。では、私たちにとってはどうか。
北陸の方で水害があったとき、バスが激流に流された。年配の乗客たちが、水没しかけのバスの天井の上で救助を待っていた。誰ともなく歌い出した歌は、坂本九が歌った「上を向いて歩こう」だった。彼らはこの歌を歌って、互いに励ましあった。
それで教会で、この歌の替歌を賛美として歌うようになった。しばらくたったある日、ある主婦が、重病の夫を完全看護の病院に残して、自転車で家路に向かっていた。彼女の心には、不安が満ちていた。そのとき、いつもの節が口をついて出た。
♫ 主を見上げて歩こう 嘆きの谷を行くときも 主イエスが一緒なら そこに泉が湧く ♫ 涙が溢れるときも やさしくふいてくださる ♫ 主を見上げて歩こう 憂いはほめ 歌に変わる 主イエスが一緒なら 何も恐くはない
彼女が苦しみの中で、主を見上げて、上よりの慰めを得たことは、言うまでもない。神は私たちにとって、もっともなじみ深い文化の形を用いて、私たちと人格的に交わってくださる。十字架以外のもので、人々をつまずかせてはならないのだと思う。
コリント人への第一の手紙2章2節
なぜなら私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、すなわち十字架につけられた方のほかは、何も知らないことに決心したからです。