■聖餐に関する提案 – ハウスチャーチの視点から

聖餐を天外内で解釈すると次のようになる。

1 天との関係=思い出す

聖餐のもっとも重要な意義は「思い出す」ことだ。コリント人への第1の手紙11章24節と25節には、「私を覚えて、これを行ないなさい。」(新改訳)という言葉が2回繰り返して記されている。新共同訳聖書では、「私の記念として」と訳されているが、原語はギリシャ語の「アナムネーシス」で、しばしば「想起」と訳出される。

何を想起するのか。それはイエスさまの十字架の出来事だ。私の罪のために、罪のない神の子のからだが裂かれ、清い血が流された。私が犯した罪も、時々顔を出す罪の性質も、人間の意志や努力によって帳消しにしたり抑制したりすることはできない。人が捧げるどんな供え物も正しい行為も、清くて正しい裁判官である神を納得させることはできない。