■主体性の喪失と教会
クリスチャンと話していると、その話題にかかわらず、しばしば気になってしまうことがいくつかあります。そのひとつが、物事に対して主体的に応答しているようにあまり感じられないということです。
多くのクリスチャンが、「うまくいかない」「助けてくれる人がいない」「待つしかない」といった話しをしています。いろいろな思いがけない状況にぶつかるのもわかるのですが、それに対する姿勢はたいてい受け身なだけで、それ以上ではありません。
「こんなことがあったけど、がんばるよ!」という人がたまにいますが、失望を隠してカラ元気でごまかそうとしている痛々しい様子が明らかであることも少なくありません。
祈るときも、主体的に人生に取り組むというより、ただ依存的になっているような響きであることが多いように思います。神さまに向かって「私をこれ以上失望させないで、都合よく事が運ぶようにして下さいね。わかっていますよね。」と、上目づかいでアピールしているような雰囲気があります。