■ふたりだけのところで責めなさい

紹介文 クリスチャン同士の関係の中で出てくるクレイムはどのように取り扱えばいいでしょうか? 日本のように間接的なコミュニケーションを好む文化では、当事者が直接話し合わずに、第三者を通して人間関係の問題を解決する場合が多いと思われます。

しかし、イエスさまが教えられた人間関係構築の原則は文化の違いを超えています。日本人が慣れ親しんだ方法とは違う問題処理の仕方を、イエスさまが示しておられます。

– ある外国人の研究生が日本の大学に留学しました。同級生たちは彼を歓迎し、研究室のことを隅から隅まで親切に彼に説明しました。流暢とは言えない日本語で話す彼を、同級生たちは仲間として受け入れたようでした。

ある日、彼は夜遅く研究室に忘れ物を取りに戻りました。研究室に入ると、隣の部屋から同級生が食事をしながら話している声が聞こえてきました。みんな笑っていたのですが、何か嘲るような笑い方でした。

そうこうしているうちに、ある人が、「そうよね、あの外人は・・・」とはっきり言いました。そのとき、彼は自分の言動が嘲笑されていることを悟りました。顔を合わせているときには親切にしてくれる同級生が、陰では自分を笑い者にしていたのです。彼はそのときどう感じたでしょうか?