■キリスト直結(7)「然り」を宣言する権威

「グッドウィルハンティング」という1997年公開のアメリカ映画をご存知でしょうか。マット・デイモンが演じるウィルという名の青年が主人公です。彼は天才的頭脳の持ち主なのですが、子どもの頃に養父から虐待を受け、そのトラウマ故に才能を開花させることができずに、清掃員をしたり、工事現場で働いたりして生計を立てていました。

物語の後半で、ウィルは、ロビン・ウィリアムズ演じるショーンという名の心理セラピストと定期的に面会するようになるのですが、一つの会話がショーンの生き方を変えてしまいました。虐待を受けてきた子どもは自分に非があると思い込むようです。そういう子どもには、「君のせいじゃない。君はそのままで価値があるよ」という肯定的なメッセージが必要です。

たぶん多くの日本人には、このような「肯定のメッセージ」が必要だと思います。たとえ、虐待というカテゴリーの中に入らなかったとしても、子どもたちは多くの否定的な言葉のシャワーを浴びて育ってきました。そのことにより、「無理だ」「できない」「どうせダメだ」などというように、物事を消極的に考えるような思考の癖が定着してしまったのです。

シャド・ヘルムステッターという心理学者は、「生まれてから最初の18年間、平均的でプラス思考の家庭に育ったとしても、子どもは、14万回8000回以上、あれはダメ、これはダメだと言われ続ける」と述べています。しかも、そのほとんどが両親が発した言葉なのだそうです。

先日、エレベーターの中で、たまたま文化教室に通う親子と乗り合わせました。どんないきさつがあったのかはわかりませんでしたが、親は5歳ぐらいの子どもに向かって、「うるさい、何度も言うんじゃない。捨てるよ!」ときつい口調で言っていました。子どもは親なしでは生きていくことができません。自分の子どもに「捨てるよ!」などと言って脅す親がいるのだなあと思って切なくなりました。

パウロはコリント人への第2の手紙1章19節で、「わたしとシルワノとテモテが、あなたがたの間で宣べ伝えた神の子イエス・キリストは、『然り』と同時に『否』となったような方ではありません。この方においては『然り』だけが実現したのです」と述べています。子どもを脅迫するような親に育てられたとしても、心理セラピストにかかる機会がなかったとしても、イエスさまと直結している人は、その存在が「然り」と認められ、肯定的な言葉のシャワーを絶え間なく受けることができます。

このような圧倒的な「然り」のメッセージは、十字架上の御子に対する御父の「否」に基づいています。つまり、イエスさまは全人類の罪を引き受けてご自分が背負い、私が正しい御父に受け入れられ愛されるための道を開いてくださいました。だから、十字架を見上げるたびに、私の罪がそこに永遠に釘付けられたこと、そして、御父が御子を愛しておられるように、私もまた御子のように無垢な者として愛されていることを知るのです。

それだけではなく、罪を赦され義とされた私たちに、新しい務めが与えられました。それはモーセに委ねられた「罪に定める死の務め」ではなく、御霊によって「義を宣告する務め」です。私たちは自分が「然り」というメッセージを受けて義とされただけではなく、他者に対して「然り」と言い、義を宣言することができます。