■天外内における感性アプローチ(1) – 天との関係

「美」と聞いて何を最初に思い浮かべるでしょう(この場合、聞くというのではなく、見ているのですが…)。美しい景色でしょうか? 絵画や彫刻などの芸術でしょうか? 何かの形、誰かの顔、それとも楽器の奏でる美しい音色でしょうか? 「美」の文字を見て、最近堪能した「美味しい」食べ物を思い出す人もいるかもしれません。

ある数式を眺めて「美しい」と感じる数学者の話しを聞いたことがあります。ある人は、立ち振る舞いや身のこなし方を見て「美しい」と感じます。このように「美しいもの」や「美しいこと」など、何を美しいと感じるかは千差万別であっても、私たちは何かを美しいと感じるのです。

千差万別と申しましたが、中には時代と文化を超えて、美しいと受け止められるものも存在します。たとえば、デザインの世界で使われる「黄金比」です。縦と横の長さの比が、1:1.618の近似値である長方形が、最も安定した美観を備えていると考えられています。この黄金比は、自然界の巻き貝の断面の渦巻きの比率などにも見られ、意図的に名刺の形に使われている比率です。また、賛美歌の「驚くばかりの(アメイジング・グレース)」のように、世界中で親しまれているメロディーなどに、普遍的なもの感じる向きもあるでしょう。

しかし、一般的に「美」意識には個人差があるといってよいでしょう。また、個人差といっても同じ個人が、かつては美しいと感じたものを、時間の経過と共に美しいと思わなくなることもあります。このように「美」の概念は、普遍性がそれほどないということが言えるのです。

だからといって、私たちひとりひとりが感じる「美」が実体のないものだとは言えません。また、「美しいもの」や「美しいこと」の性質を説明したり、定義づけたりして初めて、何かを美しいと感じるのでありません。たとえば、黄金比の説明を聞くことによって美しいと感じるのではないのです。私たちが美を意識するときには、知性ではなく感性が働いています。

ここから今回のテーマである感性について考えてみましょう。感性は美を意識するためだけに機能しているわけではないでしょう。感性については、哲学、認識学や心理学の分野で学問として、知的に取り扱われています。近代ドイツの哲学者カントによれば、感性とは「悟性的な認識の基盤を構成する感覚的直感表象を受容する能力」とされています。