■植民地主義的宣教に対する反省(4)―HIROKOの場合(1)

紹介文
植民地主義的宣教の実は、大きな会堂や、町に掲げられている十字架や、信者の数でカモフラージュされているが、今ではたいした結果を生み出していない。その絶頂期は、過ぎてしまったのだと思う。しかし、もっと結果を生み出すために、注ぎ込まれているお金の額は増え続けている。

植民地主義的宣教という一連の活動は、恐らく4世紀頃から始まったと私は考えている。現在に至るまで1700年もの間繰り返され、舞台が別の国に移っても、さらに繰り返された。そして現在も、世界地図を十字架で埋め尽くすごとく、「未伝地」と呼ばれる場所で繰り返されようとしている。

私個人は「その連鎖を止めなさい」と神さまから言われていると信じているし、その連鎖を止めるチャンスが今与えられていると確信している。そのメッセージを、声を大にして発信したいと思うのは、私自身にも責任があると感じているからである。

私自身が30年もの間、植民地主義的宣教を行ってきた。途中でおかしいと気づいたが、自分の判断に自信がなかったり、批判されるのが怖かったりで、逃げていた。今号は、私自身が関わってきた植民地主義的宣教についてお話しする。