■詩篇23篇を成長の視点で読む

詩篇23篇は、「主は私の羊飼い。私には乏しいことがない」という言葉から始まります。無力で無防備な割には、頑固で迷いやすい羊のような私を、主がお世話して導いてくださる。その上、良いものに何一つ欠けることのないようにもてなしをし、ご馳走を用意し、食後には緑の牧場で、ゆっくりと昼寝までさせてくださる。

1節と2節だけを読むと、「怠け放題の子どもを甘やかす親」のようですが、そんなに無責任でよいのでしょうか。この詩には、人が成長して自らを律するようになり、自分を捨てて神の使命を引き受けて生きるというような要素はまったく含まれていないのでしょうか。

果たして3節になると様子が変わります。「たましいを生き返らせる」と述べることで、2節と3節の間に、死にかけるような事件があったことが示唆されています。4節には「死の陰の谷」、5節には「敵」が出てきます。どうも、休んでばかりはいられないようです。

そこで、この詩を四つの部分に分け、それぞれが、ヨハネの第1の手紙2章の「子どもたち(幼年期)」、「子どもたち(少年期)」、「若い者たち(青年期)」、「父たち(壮年期)」という各成長段階の描写だと仮定して読み直してみることにしました。