■教会は「食べる事」と「仕える事」の循環

伝道者の書3章13節には、神が賜物として人に与えてくださった2つの「事」について記されています。それらは、仕事と食事です。11節から13節までを引用してみましょう。

「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。しかし、人は、神が行なわれるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。私は知った。人は生きている間に喜び楽しむほか何も良いことがないのを。また、人がみな、食べたり飲んだりし、すべての労苦の中にしあわせを見いだすこともまた神の賜物であることを。」

・神のなさることは、すべて時にかなって美しい

時を支配しておられるのは神です。神が定められた時から人は逃れることができません。人生には受け入れがたい嘆きや破れや喪失の時がありますが、伝道者は、「神がなさることは、すべて時にかなって美しい」と宣言します。わたしを愛して、わたしの益を願われる主が、最善のタイミングで美しいわざをなさることに信頼せよ、と勧めます。

人の心には永遠への思いが与えられてはいますが、人は、神が行なわれるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができません。しかも、人も獣と同じ結末を迎えます。人の死はむなしいものです(cf. ヨハネ11:35)。生老病死、人が支配できる事柄は何もありません。人は時の流れを支配することはできないのです。