その4 喜ぶ練習
天に名が記された
「主にあって喜びなさい。前と同じことを書きますが、これは、私には煩わしいことではなく、あなたがたの安全のためにもなることです。」(ピリピ3:1)
右の言葉は、パウロがピリピの諸教会に宛てた手紙の一節です。この手紙は獄中から出されました。塀の外では実に多様な問題が起こっていました。第一に、「鬼の居ぬ間の洗濯」とばかりに、敵対者が勢力を伸ばしているという知らせが、パウロのところにも届きました。
詳細は不明ですが、「だれもみな自分自身のことを求めるだけ」(ピリピ2:21)と言わざるをえない現状があったようです。教会の外からは悪い働き人の侵入が、内では指導的な婦人たちの間に深刻な対立がありました。その上、パウロの同労者の1人は、瀕死の病気にかかっていました。
山積する問題の中で、彼は繰り返し「主にあって喜びなさい」と勧めています。「すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行な」(ピリピ2:14)うなら、非難されるところのない純真な者となり、世の光として輝くことができると説明し、 人々を励ましました。
それでは、「主にあって喜ぶ」とは、いったいどいうことなのでしょう。神の愛と誠実は、様々なたとえで表現されています。たとえば、「花婿が花嫁を喜ぶように、あなたの神はあなたを喜ぶ。」(イザヤ62:5)。あるいは、「女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない。」(イザヤ19:15)とあります。試練や苦難の中でもイエスと固い絆で結びつけられているという事実を喜ぶことが、「主にあって喜ぶ」ことなのです。
イスラエルの町や村に二人組の弟子たちを派遣したミッションが大成功だったことは、弟子たちがした喜びの報告から伺い知れます(ルカ10:17参照)。ところが、イエス様は弟子たちにおっしゃいました。「悪霊どもがあなたがたに服従するからといって、喜んではなりません。ただあなたがたの名が天に書きしるされていることを喜びなさい。」(ルカ10:20)
名が天に記されているということは、神が「いのちの書」(黙示録20:15)に私を登録し、「決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」(ヘブル 13:5)と宣言されたという意味です。ミッションの成功は、あくまでその事実の結果です。悪霊が服従することよりも、病人がいやされ死人が生き返えることよりも、国々が弟子化されトランスフォーメーションが起こることよりも喜ぶべきことは、私たちの名が天に記されていることなのです。
敬虔の鍛練
「ダビデの子孫として生まれ、死者の中からよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい。」(第2テモテ2:8)
それがパウロにとっての福音でした。自然に神を思うことももちろんあるでしょうが、ここでは意識して注意を向けることが勧められています。
良い習慣が身につくためには練習が必要です。パウロは、「肉体の鍛練もいくらかは有益ですが、今のいのちと未来のいのちが約束されている敬虔は、すべてに有益です。」(第1テモテ4:8)と、若いテモテに教えています。
たとえば、ストレッチは肉体の鍛練の一つですが、初めは面倒臭いと思っても毎日続けていると、1ヶ月後には驚くほど身体が柔らかくなります。それと同じように、毎朝自分の名が天に書き記されていることを喜ぶ練習をするなら、喜びながら生活することが自然な生活のモードになっていきます。
喜びを表現する日課
ダビデは、自分の魂に向かって語りかけて敬虔の鍛練をしました。
「わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」(詩篇103:1-2)
中野雄一郎牧師は、ダビデの鍛練を適用して、ご自分の日課とされています。毎日鏡の前で、声を出して「恐れるな、喜べ、もっと喜べ、最高に喜べ、主イエスにあって」と、宣言なさっているそうです。
そこで私も先輩にならって、朝起きるとすぐに、天に名前が記されていることを喜ぶ表現を、少しオーバー気味にするようになりました。この日課は、固まってしまった筋肉を伸ばすストレッチに似ています。続けているうちに、不思議に喜びが湧き上がってきました。
イエス様は片手のなえた人に、「手を伸ばしなさい」と命じられました。誰よりもいやしを願い、誰よりも失望してきた彼が、思い切って命令に従いました。「彼が手を伸ばすと、手は直って、もう一方の手と同じようになった。」(マタイ12:22)と記されています。
喜べるようなことが起こったので喜ぶのではありません。「喜びなさい」と命じられているので喜ぶ。これが信仰の行為です。
脳科学の見地からも、あえて笑うことでプレッシャーを克服することができると論じられています。喜ぶときに、前頭葉が適切に働き、集中できるように、神が人間をデザインされたからです。
ある女性が、毎晩同じ悪夢を見ていました。
夢の中で、彼女は一人で広い野原に立っていました。しばらくすると、「ここからどこに行くのだろう。死んだらどうなるのだろう」と考えるようになりました。
すると、恐怖のあまり目が覚めてしまい、そのまま眠れなくなっていました。
ところが、トレーニングを受けて、起床後すぐに天に名が記されていることを喜ぶ練習をするようにしたその日から、一度もその夢を見なくなり、ぐっすり眠れるようになったそうです。
そして、将来への不安と死の恐怖から解放されました。その後すぐ、彼女を通して友人がイエス様を信じるようになったと言います。そう証しする彼女の顔は輝いていました。
天外内トレーニングでは、まず歌を教えますが、次に簡単なデボーションの仕方を教えます。毎朝起きてすぐに二つの日課に取り組むことで、神との一対一の会話の時間を確保します。
一つめの日課は、神に向かって喜びを表現することです。実際のトレーニングセッションの中では、「中野式喜び表現」の練習をします。また、1週間後に経過報告をするように指導しています。
二つめの日課は、神に6つの質問をすることで、神と個人的に交わることです。そのためには神の声を聞き分けなければなりません。次回は、そのことについて解説いたします。
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