インドにおける 「神の国の拡大」:西洋的キリスト教からの脱却(インド)

関西聖書学院院長;大田裕作
リバイバルジャパン2013年3月17日号、P.10-11より転載。

新しい宣教のあり方

2012年11月末から約3週間、インド北部のウッタル・プラデーシュ州のビクター・ジョン牧師の働きを視察する機会が与えられました。100年あまり前に始まったスウェーデン・オレブロ・ミッションのインドでの働きは、この北部、つまりヒンズーや仏教勢力の心臓部とも言える地において苦戦の連続でした。


ビクター・ジョン師と共に

ジョン師はその中でも有力な教会の牧師として就任しますが、40歳の時に、これまでの宣教のあり方では圧倒的多数のヒンズー教徒の人々には届かないと見定め、牧会から退き、ひとりで新しい宣教のあり方を模索し始めます。

当時、既に500人の会員を有する教会の牧師でしたが、彼は神の視点から自分の遣わされている地方を見ました。そこには、まだ聖書が翻訳されておらず、全く福音が届いていない9千万人のボージュプリー語のコミュニティが広がっていました。

主に心動かされたジョン師は、彼らの言語への聖書翻訳に取りかかると共に、従来の西洋キリスト教の文化をまとった教会、地元の人々には敷居の高い教会のあり方から脱皮したアプローチを求めていきます。

「人の愛」から「神の愛」へ

ジョン師は、従来から行われてきた神・罪・救いの福音のメッセージを届けるだけでなく、福音を全人的に提供しました。人間が、霊だけでなく心と体を持つ存在であり、主イエスご自身が人々のトータルな必要に応えられたからです(マタイ9章35節など)。

ヒンズーの国インドには、依然としてカースト(身分制度)が存在します。イギリスからの独立後、法律上では廃棄されたこの制度ですが、人々の意識と生活には深く根付いています。上位15%が富と権力を独占し、85%の人々が厳しい環境に置かれています。とてつもない富豪と、想像すらできない貧困が混在する国なのです。

そこでジョン師は、人々の生活支援センターを開所しました。女性にミシンの使い方を教えることで、手に職を、心に希望を植え付けていきました。学校に行けない子供たちには読み書きと算数を教え、自信と輝きを与えます。

ジョン師とスタッフがしきりに口にしていたのは、「人間関係」と「信頼関係」でした。カーストという過酷な身分制度に何千年も縛られてきた人々には、カーストを超えての心を許し合える交わりは想像すらできないものでした。外部の人とは上か下か、命令か服従かの世界しか知りません。また彼らにとって神々は、呪いや罰、つまり恐怖の対象でした。その「神」が「私を愛してくださる」というメッセージは、彼らの概念とはあまりにもかけ離れていたのです。

そこで彼らは、「神の愛」を信じる前に、「人の愛」「人への信頼」を経験する必要がありました。現実として多くのインドの教会でも、まだカーストの意識から牧師も教会員も自由になっていません。教会でも蔑視や卑下の差別があるようです。ジョン師たちはその意味でも画期的です。トップリーダーも中心スタッフも、田舎の教会開拓者も、全くフラットな交わりを楽しんでいました。

また彼らは、いきなり伝道から始めませんし、「牧師」というタイトルも用いません。人々に必要なのは、どこから手をつけていいのか分からないほどの貧困と無知の中で「友」として寄り添い、出口を共に探してくれる助け手です。こちらの“伝道成果”のためではなく、神の愛が人々に届くための窓口になるのです。

6ヶ月のミシンコースが終了する頃には、婦人たちのなかに必ず、心を開く「平安の子」がいるそうです。その平安の子が中心になって、そこに新しい小さな教会が誕生します。

ヒンズーの村で育ち、キリスト教会を全く見たことのない人たちには先入観がまるでありません。伝道者たちとの信頼関係の中で福音を信じた人々は、太鼓を叩きながら証しをし、主を伝えていきます。仲間から支持された信徒リーダーたちは、祈りつつ群れを導いていきます。先入観がないというのはものすごい可能性なのだと感じました。

「神の国の拡大」

そうして18年の歳月が流れ、今や18万の集落すべてにこの働きが根付き、展開しているそうです。一つの教会を20人以上とすると、400万人ほどが神の国に加えられたことになります。

ジョン師やそのスタッフと交わっていて感じるのは、神の国に仕えているという喜ばしい健康的な誇りでした。彼の今後のビジョンは、あと7年のうちにウッタル・プラデーシュ州2億人のうち3千万人がキリストによって回復されることです。また、彼らを動機づけている概念は、教会成長と言うよりも、「神の国の拡大」なのです。

インド北部はヒンズーと仏教のエネルギー渦巻く地域です。仏陀が悟りを開き、初めての講話を垂れ、やがて入滅した場所です。今回の訪問で最も鮮烈な印象は、ジョン師たちの働きが従来の西洋色の強い教会の在り方を脱皮して、地元の人々に違和感のない、土着の教会を力強く生み出していたことです。

私は、彼らがスラムや田舎の村々に入っていく姿に、ふと日本の大正・昭和期に活躍した賀川豊彦を思い起こしていました。神戸の貧民窟に入っていき、人々と生活を共にした賀川。彼の働きが、もしこのインドのように自然な形で福音宣教に結びついていったなら、日本においてどのような実を結ばれただろうかと。

イエス・キリストの救いは比類なき絶対的なものです。これは動かすことのできない、代替不可能な真理です。一方で、主を信じる人の生活には地域差があっていいし、あるべきです。つまり文化は相対的なものです。

ジョン師はこう語りました。「すべての文化には光と影がある。素晴らしい部分と闇の部分が。」「聖書は、誕生、結婚、葬儀について何の指示もしていない。福音は、すべての部族・民族に届けられるべきことを前提としていたので、そこに文化的な選別やハードルは設けていない。」「結婚生活のあり方には教えがあるが、結婚式の規定はない。」


デリーの線路沿いのスラム

文化を福音と同等に位置づけると、宣教の硬直化が始まります。西洋式の教会に違和感を覚えない人々や憧れを感じる人には良いのですが、そうでない人々には妨げの岩となります。初めから「あなたは対象外ですよ。」と言われているような疎外感を感じます。私は、日本の教会のイメージは、大衆にはまだまだ距離感があるのではないか、まだ借り物の段階から脱却できていないのではないか、と感じています。

2年前の東日本大震災は、東北の沿岸部に福音が入っていけていなかった事実を如実に物語っています。何千もの家々が一瞬にして押し流された中で、根こそぎ流された教会堂は2つだけでした。それほど沿岸部の漁師町への伝道が難しかったということです。私は三重県南部の漁師町の出身ですから、教会の文化(雰囲気)と漁師町のそれとのギャップをよく実感できます。歌われている賛美も、プログラムも、教えられている生活指針も、およそ接点が少ないのです。

主イエスが飼い葉桶にまで来られたのは、儀式でもポーズでもありませんでした。主は人間生活の〝生身〟の中に入って来られたのです。彼はやがて、ザアカイの家に赴き、罪に苦しむ女性に解放を語り、最後は罪人に挟まれるかたちで十字架にかかられました。


野外で礼拝。このようなコミュニティが無数に拡がる

今回訪れたインド北部の教会は、それを実践していました。私たち日本の教会もまた、伝えられた福音の本質を握り直し、99%の未信者、生身の人々に響くかたちで福音を提供する、その脱皮の時を迎えているのではないでしょうか。