■良いものに欠けることはない
ダビデは波乱万丈の人生を過ごした。様々な修羅場を通ったが、もっとも惨めだった場面の1つは、ガテの王アキシュの前で、気が狂ったと見せかけたときだと思う。
母国を追われて外国に寄留しようとしたが、そこでも生命の危険があった。世界最強の軍隊の総司令官に昇りつめた人が、カモフラージュのために、門のとびらに傷をつけたり、ひげによだれを流したりしなければならなかったことは、屈辱的だったに違いない(第1サムエル記21章13節)。
後にダビデは、そのことを賛美歌にして歌っている。「正しい者には悩みが多い。しかし、主はそのすべての悩みから救い出される。」(詩篇34篇19節)
危険が迫ってくるとき、緊急脱出の精鋭部隊が天より送られる。「主の使いは主を恐れる者の回りに陣を張り、彼らを助け出される。」(7節)
悩みがないのが幸せではない。むしろ、「確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受け」(第2テモテ3章12節)る。
その悩みのただ中で、神の守りと恵みを経験するのである。
ダビデはさらに1歩進めて、「主に祈り求める者たちには、良いものに欠けることがない」(10節)と告白している。良いものとは何か。それは、悩みも含んでいるのではないか。
ある神学者の言葉を思い出した。(正確かどうかは、読者の方で知っている人があれば教えてください。)
人生は刺繍のようだ。生きている間、人はその裏側しか見ることができない。糸がまるめられているところがあったり、整理されていないように見える場所もある。全体像がわからないので、なぜここにこんなにくすんだ色が使われているのか、といぶかしく思うこともある。
しかし、人生が終わるときに、神はそれを裏返してくださる。そこには、完成された美しい絵柄がある。そのとき、なぜあのような試練を通ったのか、という意味を知るようになる。
ダビデが、「良いものに欠けることがない」と歌ったのは、悩みや苦しみをも「神の作品である自分の人生」を完成させるためになくてはならないファクターだと、知ったからなのかもしれない。
ヤコブの手紙1章2節
私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。