■弱さに甘んじる
使徒のしるしは何か。パウロは、「忍耐を尽くしてあなたがたの間でなされた、あの奇蹟と不思議と力あるわざ」(第2コリント12章12節)だ、と言っている。
奇跡と不思議と力あるわざが、なぜ「忍耐を尽くして」なされたのか。それは、使徒の生活が、キリストのゆえの迫害と苦難の連続だったからである。
その上、パウロには、肉体に「とげ」が与えられた。彼が受けた啓示があまりにもすばらしかったので、高慢にならないようにサタンから送られた使いである。
それが具体的に何を意味するのかは不明だが、弱視だったとか、てんかんだったとかいう説がある。いずれにせよ、彼はそれが取り去られるように何度も祈った。
しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」とパウロに言われた。
そこでパウロは、自分の弱さを誇ることにした。キリストの力が、自分をおおうようになるためだ。
弱さに直面して、それに満足する、という真理は、「強いことこそが美しい」という幻想を持っている間は理解できない。神が用いるのは、偉大な人ではなく、偉大な神の手の中にある弱い人だ。
弱さに気付くとき、不平を言ったり自分を責めたりする前に、「神様、あなたの恵みは僕に対して十分です。僕の弱さのうちに、あなたの力を完全に現わしてください」と祈れるようになりたいな、と思った。
第2コリント12章10節
私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。