■信頼できる助け手
信頼できそうな人を見ると、この人が助けてくれるんだったら、きっと大丈夫だろうな、と思うことがあるだろう。大船に乗った気持ちで任せてみよう、と。
ローマ人への手紙8章26節では、「究極の助け手」について説明されている。それは、信者の内に宿る聖なる神の霊である。
「御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。」
経営コンサルタントが成功する秘訣は、伸びる会社だけを選んでコンサルティングをすることだそうだ。しかし、御霊の場合は、「こりゃ、どうしようもないな」という場合にも助けてくださる。
御霊は、僕たちを深くあわれまれんでおられるだけでなく、一心同体となってくださっているので、「言いようもない深いうめきによって」とりなしてくださるのだ。
しかも、御霊のとりなしを聞いておられる方は、「人間の心を探り窮める方」で、僕たちをどのように導くかという方針について、御霊と完全に意見が一致している。
神は、一貫した堅実な計画に従って、僕たちが出会う1つひとつの出来事を配置しておられる。だから、想定外のハプニングはない。それらすべてに意味があるというのだ。
御霊の重要な働きの1つは、僕たちの人生が神のご計画によって確かに導かれていることを、確信させることである。
そして、今経験している苦難が、最善の結果、つまり、キリストに似せられた栄光の姿に変えられていくためのプロセスだということを納得させることである。
僕たちの内に神の霊が宿っている、ということこそが、神がイエス様の犠牲を通して、僕たちに与えてくださった恵みの中心である。
ガラテヤへの手紙3章13、14節
キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである。」と書いてあるからです。このことは、アブラハムへの祝福が、キリスト・イエスによって異邦人に及ぶためであり、その結果、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです。