■余ったパンの話

 

一般に「給食の奇跡」と呼ばれている記事が、福音書に収録されている。それは、概ね下のようなエピソードである。

病気を直しておられたイエス様のところに多くの群衆が詰めかけてきた。ところが、夕方になって空腹になってきた彼らに、食べさせるものがない。

弟子たちは、群衆を解散させて、めいめい食物を買いに行かせるようにしようと、イエス様に進言する。

しかし、イエス様は、「彼らが出かけて行く必要はありません。あなたがたで、あの人たちに何か食べる物を上げなさい。」と命じられた。

そう言われても、弟子たちの手許には、パン5つと魚が2匹しかなかった。イエス様と弟子たちが食べる分にも足りない量だ。

日も沈みかけてくるし、お腹を空かせた群衆が目の前にいる。「イエス様、いくらなんでも、そりゃ無理ですよ。これだけじゃ、どう見ても足りないです。」と弟子が言った。

すると、イエス様はそのわずかな食料を持ってこさせ、天を見上げて、それらを祝福し、パンを裂いて弟子たちに与えられたので、弟子たちは群衆に配った。

その結果、「人々はみな、食べて満腹した。そして、パン切れの余りを取り集めると、十二のかごにいっぱいあった。食べた者は、女と子どもを除いて、男五千人ほどであった。」(マタイ14章20、21節)

配っても配っても減らなかったのか、ある時点でパンと魚が急に増えたのか、奇跡の詳細はわからない。

しかし、はっきりしていることは、イエス様が祝福なさったものを配ると、何万人もの人々が食べ残すほど満腹したことだ。

この出来事は、弟子たちに「神の国のドミノ倒し的な拡大のイメージ」を与えたと思われる。

「これだけじゃ足らない」と思える状況でも、信じて従うならば、有り余るようになる。彼らは自分の手で配って、自分の口で味わって、その真理を経験した。

正直言って僕は、「これじゃ、足りないよ」とつぶやくことが結構ある。自分を見ても、環境を見ても、地域や国に弟子が満ちるためには足らないことが多過ぎる。

しかし、イエス様は「おまえが食べ物をあげなさい」と言われる。そう命じられた僕たちがするべきことは1つ。信頼して従うことだ。

ぶつぶつ言ってないで、祈れと言われることを祈り、行けと言われる所に行き、しなさいと言われることをしよう、と思った。

 

ヨシュア記1章7節
ただ強く、雄々しくあって、わたしのしもべモーセがあなたに命じたすべての律法を守り行なえ。これを離れて右にも左にもそれてはならない。それは、あなたが行く所ではどこででも、あなたが栄えるためである。