■模範を示す

 

先日ある人に指摘された。「結局、君が設計したトレーニングを、アレンジしながら、自分でもやり始めている人たちは、君と一緒に旅行したり、飯食ったりしている人たちだけだよね。」

確かにそうだよな。イエス様は、セミナーを開かれなかったし、ワークショップなんて気取ったことをされなかった。一緒に旅行して、一緒に飯を食う。そういう地道なことを続けられた。しかも、3年以上も…。

イエス様が教師としてユニークな点は、ただ教えるだけではなく、生活を共にすることを通して、生き方を見せられたところだ。

イエス様がもし、天から語りかけるだけで、実際に地上に赤ちゃんとしてお生まれにならなかったら、どうなっていただろう。

もし、貧しい人のさいわいを説かず、悪霊を追い出さず、弟子と一緒に旅をせず、子どもたちを祝福しなかったらどうだろう。

姦淫の現場で捕まえられた女に赦しを宣言せず、律法学者を沈黙させず、弟子たちの足を洗われなかったなら、僕たちは父を理解しただろうか。

裸にされ、罵倒されても、「父よ彼らを赦したまえ」と祈られなかったとしたら、僕たちは今も、罪の中に生きていたことだろう。

それなのに僕は、15時間のセミナーで何とか済ませようとしている。僕はイエス様より 偉いのか。

一緒に考え、一緒に祈り、一緒に喜び、一緒に泣き、一緒に食べ、一緒に旅行し、一緒に働き、一緒に迫害される。そういうことがない教えは、単なる記号の羅列なのかもしれない。

 

ヨハネの福音書13章12-15節
イエスは、彼らの足を洗い終わり、上着を着けて、再び席に着いて、彼らに言われた。「わたしがあなたがたに何をしたか、わかりますか。あなたがたはわたしを先生とも主とも呼んでいます。あなたがたがそう言うのはよい。わたしはそのような者だからです。それで、主であり師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです。わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしはあなたがたに模範を示したのです。