■グラスルーツ・リーダーシップ・トレーニング

 

来週、海外で開かれる「グラスルーツ・リーダーシップ・トレーニング」を主題とした国際会議に出席する。現地のインターネットの環境によっては、ブログの更新ができない可能性がある。その場合はご了承いただきたい。

グラスルーツは「草の根的」と訳されるが、さらに説明すると、「組織に属さない一般大衆から盛り上がった」という意味になる。

「グラスルーツ・リーダーシップ・トレーニング」は、資格を持った教師が、教室で、理論や知識を講義する、規格化された組織的な学校教育とは異なる。

生活を分かちあう親密な交わりの中で、模倣やコーチングや実践経験を通して、より柔軟に、より個別的に、スキルの習得や人格の成熟を促進することを目指す。

イエス様の弟子育成のスタイルは、「グラスルーツ・リーダーシップ・トレーニング」の優れたモデルである。

イエス様は弟子を育てるために、学校を創立されなかった。12人の弟子と生活を分かちあうことを通して、生きる道を教えられた。

イエス様は、ある事柄(What)というよりは、自分自身(Who)を伝えられた。ある原理(Why)というよりは、生き方(How)を示された。

まず自ら模範を示し、弟子たちが気楽に失敗できる受容的な共同体の中で、自分でやってみる楽しさを経験させられた。

質問を投げ掛けながら、対話しながら、弟子たちが自分で気付くプロセスを助けられた。
また、彼らの求めや成長の段階に応じて、提供するものを変えられた。

弟子たちが自分の元で十分な練習を積んだら、今度は使命を与え、チームで見知らぬ場所に派遣された。彼らが戻ってくると、その経験に基づいて、さらに教えられた。

学校教育に慣れた僕たちが、イエス様型のトレーニングに携わるためには、自分の生活をトレーニーと分かちあうという大きな決断が必要だ。

それは易しいことではないが、「すべての国民を弟子とせよ」という命令に忠実であるためには、自分の生活を隠すことができるレクチャーに頼っているわけにはいかない。

 

使徒の働き4章32節
信じた者の群れは、心と思いを一つにして、だれひとりその持ち物を自分のものと言わず、すべてを共有にしていた。