■ペストのような存在

イエス様の弟子育成のもう1つの特徴は、その強い伝染性にある。それは、彼のトレーニングの仕方というよりも、彼のメッセージの本質に由来するものだと思う。

多くの人たちは、人生を仕切り直したいと思っている。本心では、目前の緊張の緩和や不快の回避に終始する生活以上のもの求めている。

また、「生きている」のではなく、「生かされている」と感じている。もし、生かされているのなら、人生には意味と目的があるはずだ。

自分を超えた永遠なるものから与えられる使命を受けとり、そこに自分を投入して生きてみたいと思っている人もいるだろう。

あるいは、美空ひばりが歌った「川の流れのように」の歌詞のごとく、自分よりも大きな存在に、自分を委ねて生きていきたいというあこがれを持つ人もいる。

ところが、生活を一新することは、生易しいことではない。人生の意味を見いだせないで虚無的になったり、強い自我との葛藤に苦しんでいる人も少なくない。

キリストの弟子たちには、人生を仕切り直した人々の持つすがすがしさがあった。人々はそれに魅かれたのだと思う。

ローマ帝国の激しい迫害の中では、誰も十字架の立った建物を見ることはできなかった。ましてや、スタジアムでの大集会や、路傍伝道は問題外だった。

多くの場合、人々が初めてクリスチャンを見たのは、彼らが円形闘技場で虐殺されるときだった。

観客が見ると、クリスチャンたちは死を目の前にして、取り乱しているようには見えなかった。かえって、互いにいたわりあったり、神を賛美したりしていた。

当時、1人のクリスチャンが殺されるのを見た10人の人が、キリスト教徒になっていったと言われている。

キリストの弟子の死に様、そしてそこに凝縮された「新しい生き様」が、まるで伝染病のように、それに接する人々の人生を変えていったのだ。

 

使徒の働き24章5節
この男は、まるでペストのような存在で、世界中のユダヤ人の間に騒ぎを起こしている者であり、ナザレ人という一派の首領でございます。