■共依存から逃れる道(2) 「母離れさせる天の父」

 

「共依存から逃れる道」の第2回目。著者は、依存と絶望を繰り返す「孤独の循環」から抜け出していくプロセスについて説明する。「天の父」に出会ったとき、母なるものから離れ、新しい自立の道を歩み始めた。

●母離れさせる天の父

「1人でいられる能力」とは、イギリスの小児科医ドナルド・ウィニコットが使った言葉だ。彼は、1人でいられる能力は、成熟した大人に欠かせない能力の1つだという。

母の腕に抱かれている間に、子どもは「1人でいられる能力」を発達させる。自分に関心を注いでくれる母の瞳の中に、子どもは安らぎと安全を覚える。母との信頼関係の中で、子どもは安心することができる。

やがて乳児は、母の腕から膝の上に座るようになる。母から少し離れた場所でも安全だと感じる。「自立へのプロセス」がすでに始まっているのだ。やがて、膝から下りて家の中を探索し、母から離れて「1人でいる」時間と範囲を広げていく。

愛されていることを確信している子どもは、1人でいても「関心を注いでくれる者と共にいる」ことを確信しているので、安心して家の外に出かけることができる。こうして子どもは母から離れる自立の道を踏み出していくのだ。

1人でいられる能力を持つことは、家の中に閉じこもって1人きりでいることではない。1人でいられる能力を持つことは、逆説的だが、常に「他者と共にいる」ことを確信している状態なのだ。

自分のことを赦せるし、自分自身を楽しめる。自分に優しい者は、当然他人にも優しくなれる。本当の意味で他人に献身できるのは、この「1人でいられる能力」を持つ者なのだと思う。

私自身が経験した共依存の問題やひきこもり、さらには、社会問題となっている援助交際や少年犯罪などの子どもたちの起こす問題の根本原因は、母なる者から離れていくプロセスのつまづきと言えるのではないか。

私の母離れは、天の父が負って下さったと思う。なにしろ、母から離す親業を担うのは「父」なのだから。父なる神に信頼することで、私の中に眠る「1人でいられる能力」が引き出され、育てられてきたのだと思う。

 

ヨハネの福音書16章32節
見なさい。あなたがたが散らされて、それぞれ自分の家に帰り、わたしをひとり残す時が来ます。いや、すでに来ています。しかし、わたしはひとりではありません。父がわたしといっしょにおられるからです。