■共依存から逃れる道(3) 「偽の父親に騙されるな」

 

「共依存から逃れる道」の第3回目。この記事でひとまずシリーズが完結する。天の父との信頼関係の中で、「1人でいられる能力」が育てられてきた著者は、天の父以外の「父もどき」に信頼して、再び共依存状態に戻らないように、と警告する。

●偽の父親に騙されるな
クリスチャンになった後も試練に出会った。しかし、以前のように依存対象を求めようとはしなかった。慰めと励ましと具体的なアドバイスを与えるのは人ではなく、神だけだと知ったからだ。

私は昔、占い中毒だった。試練のときには、ことさらに真剣に占いに頼った。人に頼って道を示してもらおうという態度と、占いに頼る行為は通底している。「1人でいられる能力」がなかったので、人の判断や霊的な手引きに頼ったのだ。

仲間の慰めや励ましが無用だと言っているのではない。助けを求めることも大切だと思う。ただ、私は自分自身の課題が、この「1人でいられる能力」の成長にあると考えていたので、主以外の者からの指示に妄信することを自制したのだ。

私の霊的な親は、神しかいないと考えると、人にすっぽり抱かれたり、背負ってもらったりする必要はないと思った。肉親にもそうしてもらう必要がないとわかった。そうするとかえって、親のことが愛おしくなり、赦せるようになった。

人は誰も、誰のことも背負えないと思う。また、人に背負ってもらったら最後、主が備えて下さった「自分で立って歩く力」も見失うような気がした。それは健全な自尊心が育つ道を閉ざすものだと思う。

主が、お父さんなのだから、主に聞けばよい。そして、主が創って下さった私なのだから、自分には力があると信じたらいいと思う。神こそ私の知恵であり力なのだから。

同時に「私に任せなさい」とか、「私が何とかしてあげよう」などというような態度や言葉を示す人には注意したほうがいいなと思うようになった。そんなふうに人を背負う姿勢を見せる人からは逃げた方が無難だ。たぶんそうだと思う。

 

マタイの福音書23章8、9節
しかし、あなたがたは先生と呼ばれてはいけません。あなたがたの教師はただひとりしかなく、あなたがたはみな兄弟だからです。あなたがたは地上のだれかを、われらの父と呼んではいけません。あなたがたの父はただひとり、すなわち天にいます父だけだからです。