■和解のエキササイズ(1)心から和解したいですか?

 

人生には様々な試練がある。それらを避けては通れない。しかし、身近な人間関係が温かければ、試練の中でも、友人や家族と結び合う幸せを感じることができる。

では、皆温かい関係を求めているのに、なぜ多くの人たちが破れた関係のゆえに苦しんでいるのか。そればかりか、人間関係自体が試練となっていることも少なくない。

原因の1つは、意志疎通に対する意識と努力の不足だと思う。「以心伝心」などという、ほとんどの場合に機能しない「美徳(?)」に頼っていても埒が明かない。

自分の意見や思いを明確にしないでいて、「何だよ、オレの気持ちを斟酌しろよ」と、うだうだ思っていても、堂々巡りをするだけだ。

相手の理解力の乏しさを嘆く前に、自分が本音を話しているか、それを相手に分かるように伝えているかと、自問した方がよい。

ある人は、直言しないのはやさしさだと言うだろう。確かに、「それを言っちゃあおしめえよ」って局面もある。だが、多くの場合、それも言い方次第かなという気もする。

立場を明確にしないでいると、後々責任追及をかわせるという後ろ向きな心理が働くこともある。しかし、本当に和解したいのなら、腹を割って話しあう覚悟が必要だ。

これから3回シリーズで、和解のエキササイズについて紹介する。目的は、自分の気持ちを正直に話すと同時に、相手の話を先入観を捨てて聞けるようになることだ。

簡単なルールを決めて平等に話し合う。また、進行役としてファシリテーターを立てる。ファシリテーターはルールが守られるかをチェックするレフェリー役も務める。

和解のエキササイズを始めるためには、2つの条件が必要だ。

1つは、両者がどうしても和解したいと思っていること。渇いていない馬に水を飲ませることはできない。

もう1つは、ルールに従うと約束することだ。ルールを無視してマイナスの感情を噴出させるなら、さらなる誤解、疑心を招き、心に傷をつけることになりかねない。

次回は、その具体的なプロセスを紹介する。

 

箴言27章5節
あからさまに戒めるのは、ひそかに愛するのにまさる。