■ヒーバート先生

 

長期の旅行中に、ポール・ヒーバート博士(Dr. Paul G. Hiebert)が召天されたという知らせを受け取った。彼と面と向かって話したのは1度だけだが、著作を通して大きな影響を受けた。

それで、博士の論文を簡単に解説した文章をご紹介することで、弔意を表することにする。多くの著作の中で、私がもっとも好きな論文である。ヒーバート博士がこの時代に対して預言的な役割を果たしたことを感じ取っていただけるものと思う。

教会史の中で、階層的なリーダーシップ構造に支えられる「人間の帝国」が、「神の王国」の自然発生的な拡大を妨げてきた。管理し過ぎると生命がなくなる。人を成長させる神ご自身の働きに、どれだけ信頼するか、ということが育成者に問われている。

●ベンガルボダイジュとバナナ

イギリスのある町に有名な説教者が住んでいました。日曜の礼拝はいつも満員御礼状態でした。世界中から彼の「生」説教を聞きに、人々が押し寄せたからです。神様がその説教者を豊かに用いてくださったこと、そして彼に与えられた知恵によって多くの人々が助けられたことに心から感謝しています。

しかし、残念なことに、彼が死んだ後、その教会は閉鎖されてしまいました。彼の働きを受け継ぐ人がいなかったからです。

他の追随を許さないほどの素晴らしい働きは、それ自体は何も批判されるべきものではないのですが、そこにはリスクもあります。リーダーは、「自分がいなくなった後、その働きがどう継続されるか」と常に自問する必要があります。

米国のT神学大学大学院にポール・ヒーバートという宣教学の先生がいます。私は直接師事しなかったのですが、著作を通して大きな影響を受けました。ただ、彼が日本で公開講座を開いたときに、1つのクラスを担当させていただいたことがありました。光栄なことです。

ヒーバートさんには多くの著作がありますが、「ベンガルボダイジュとバナナ」という変な題名の小論文は、リーダー育成の課題を植物にたとえて説明した私のお気に入りの論文です。彼は宣教師の子どもとしてインドで育ったので、これらの2種類の植物についてよく知っていたのだと思います。

日本でも観葉樹として人気の高いベンガルボダイジュは、原産地のインドでは、なんと幹の直径が100メートルを超える巨木に成長することがあるそうです。1本しかないのに森を思わせる景観を作りだすことがあるとのこと。旺盛な生命力のゆえに、長寿と豊饒を願う聖木としてあがめられているそうです。この木の下で、人も鳥も動物も暑さをしのぐことができます。

しかし、「ベンガルボダイジュの下には何も育たない」ということわざがあるほど、木の下には何の植物も育ちません。枯れた跡には1エーカーにも及ぶ「何も生えていない大きな空き地」ができるそうです。

それとは対照的に、バナナは別の意味で生命力豊かな植物です。もちろん、ベンガルボダイジュのようなりっぱな幹や、張り巡らされた枝はありません。寿命も1年半に過ぎません。しかし、6ヶ月毎に新しい芽が生え出て、実を成らせていきます。

生食用バナナには種がありませんが、野生種は年間を通じて開花結実し、そのサイクルは次々に受け継がれ、みるみるうちにバナナの森ができるとのこと。

ヒーバートさんは、多くのリーダーをベンガルボダイジュにたとえます。たとえ彼ら自身が素晴らしい働きをしても、後継者を見つけることは困難です。なぜなら、彼らはリーダーではなくフォロワーを生み出すからです。

フォロワーというのは、リーダーの思考を推し量り、その指示に従う人たちです。フォロワーはリーダーの話を喜んで聞くので、リーダーも自分のプライドを満足させることができます。

リーダーはフォロワーが学ぶべきこと、そして学ぶ方法について決定します。そして、リーダーが作ったプログラムの一翼を担うことができるように配置します。

フォロワーは比較的短時間で育てることができます。しかも、それはそれなりの効果を生みます。しかし、リーダーが去っていくとき、そこには依存的な「指示待ち族」だけが残ります。

このようなリーダーシップスタイルは、次世代のリーダーの潜在的な自律の芽を摘み取り、人々の成長を妨げてしまいます。

フォロワーではなくリーダーを育成することは、自尊心を満たすという観点から考えると、報いの少ない仕事だと言えるでしょう。リーダーを育てるためには、現リーダーである私たちの考え方やスタイルに同意させようとしてはなりません。

神との直接的な会話を通して、自分で考え、自分で決めることができるようにコーチしなければなりません。そのようにして、私たちの信念に対して疑念を抱き、その決定に異議を唱える力を身に付けさせるのです。

そうするならば、やがて彼らが仕事を引き継ぐときに、私たちの限界を乗り越えていくことができます。前の世代から引き継いだ恵みの土台の上に、新たな時代の新たな地平を切り開くことができるのです。

また、彼らが成長したり何かを達成したりしたときに、「自分たちでもできる」という確かな手ごたえを得、健全な自信を持つことができるでしょう。

たとえ、若い人たちが粗削りであっても物事を単純化し過ぎていても、神経質に正そうとしないで、むしろ続けて自分の頭で考えるようにと励まし続けなければなりません。

また、虎の巻に頼らないで、自分の責任で解決すべき問題に注意を向けさせなければなりません。

このような育成には時間と労力がかかります。対話しながら、失敗から学ぶ機会を提供しながら、自律性を尊重して育てるからです。

しかし、多くの日の後に、自分の能力を発見し、自ら新しい責任を引き受け、私たちを踏み越えていく若いリーダーたちに囲まれるようになるでしょう。それが育てる者にとっての報いです。

最後に、リーダーを育成するというだけでは不十分だということに言及しておきましょう。いやと言うほど頻繁に見られる現象は、フォロワーを育てるリーダーを育ててしまうという誤りです。正解は、「リーダーを育てるリーダー」を育てる、ということです。

第2テモテ2章2節の「2-2-2」原則を次世代のリーダーたちに理解させ、リーダー育成のバトンを次々と手渡していくというビジョンを指し示すことが、世界を勝ち取る鍵なのです。

 

第2テモテ2章2節
多くの証人の前で私から聞いたことを、他の人にも教える力のある忠実な人たちにゆだねなさい。