■「成熟してから派遣する」という嘘
一流の寿司屋では、見習いの寿司職人が、自分の包丁を持つことを許されるのに、半年かかるそうだ。出前の巻きものを巻くのに6年。一人前と認められるためには10年以上かかると言われている。
こういう徒弟制度の伝統を持つ日本人が、3年間イエス様から訓練を受けた十二弟子の話を聞くと、「道は遠い」と思ってしまう。ある神学校の卒業式で、卒業生が皆、「3年間学んだけど、まだよくわかりません」と言ってうつむいていたことを思い出す。
神学校を出た人がこういう状態なのだから、「平」信徒と呼ばれる人たちの状態は推して知るべしだ。多くの十年選手が、「わかりません、できません。あの方は素晴らしいのですが、私などはまだまだです。」と口を揃えておっしゃる。
どうして、戦いに出ていかない「キリストの兵卒」が増えてしまったのだろうか。悪魔が「神の軍隊」を弱体化させるために、教会に巧妙に「偽りの仮定」を忍び込ませ、人々がそれを信じているからだと思われる。
それは、「成熟しないと出ていけない」という嘘だ。イエス様が十二弟子を町々に派遣したとき、彼らが十分に福音を理解していたとは思えない。また、成熟していたとも思えない。その証拠に、彼らは全員、十字架の主を見捨てて逃げてしまった。
多くの弟子たちは、イエス様と出会った日に、船と父を置いて「人を漁る働き」に召し出された。彼らの学びの場は教室ではなく、悪霊たちとの危険な対決の場だった。彼らは成熟したから派遣されたのではなく、任地で戦いながら成熟していったのだ。
聖書の中には、信じてすぐ派遣された人たちがいる。ゲラサの狂人然り、エチオピアの宦官然り。ステパノの迫害の後で散らされたエルサレムの弟子たちの中には、昨日今日救われた人たちもたくさん含まれていたはずだ。
もし本当に「成熟しないと出ていけない」のなら、誰も出て行けなくなる。成熟へのプロセスは一生続くからだ。イエス様もまた、この地に派遣されてから、「多くの苦しみによって従順を学び、完全な者とされ」(ヘブル5章8、9節)た。
「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝え」(マルコ16章15節)ると試練に出会う。しかし、試練の中で、「もはや自分自身を頼まず、死者をよみがえらせてくださる神により頼む者と」(第2コリント1章9節)されていく。
実効性のある訓練は、いち早く派遣することにかかっている。成熟への道は、戦場で神にのみ頼るときに開かれてくる。なぜ、古参兵は戦わないのか。それは、戦場にほうり出され、神とともに戦い、神とともに栄誉を受けた経験がないからである。
ローマ5章3-5節
そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。