■天命に安んじて人事を尽くす
明治期の宗教哲学者で、真宗大谷派僧侶でもあった清沢満之(1863~1903)が、「世間一般では、人事を尽して天命を待つと言うが、天命に安んじて人事を尽すというのが、本当の生き方なのではないだろうか」とおっしゃったとのこと。
「天命に安んじる」とは、キリスト教の視点で言うと、天地を支配しておられる神が、私の「そのままを愛される」という事実に満足することだ。それができるときにだけ、与えられた賜物を発揮して、「人事を尽くす」ことができる。
イエス様は、「タラントのたとえ」(マタイ25章14-32節)で、神が人に、それぞれ賜物を分け与え、それを生かして用いるように意図された、と教えられた。1タラント預った物は、「人事を尽くさず」、地を掘って、その主人の金を隠した。
彼は言い訳した。「ご主人さま。あなたは、蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めるひどい方だとわかっていました。私はこわくなり、出て行って、あなたの一タラントを地の中に隠しておきました。」
主人は言った。「悪いなまけ者のしもべだ。」主人に対する間違ったイメージを持っていたしもべは、その間違ったイメージ通りのことを経験した。主人によって外の暗やみに追い出されてしまったのだ。
「よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。」と主人からねぎらっていただくためには、まず「天命に安んじる」ことから始める必要がある。
マタイ16章15節
イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」