■弟子育成のDNA

 

すべての教会開拓者に持ってほしい3つの心構え、またはスキルがある。それは、弟子育成のDNAと言ってもよいだろう。これらがなければ、何世代にもわたって、弟子が弟子を生み出し、教会が教会を生み出すという増殖は起こらないと思う。

第1に、自分がたとえ1人でも、その地域で教会を生み出すために用いられるという強い確信である。イエス様は「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。」(マタイ16章18節)と宣言された。主ご自身がご自分の教会を建てられる。

イエス様の教会を私が建てるのでもなければ、私の教会をイエス様に建てていただくのでもない。イエス様ご自身が「権力によらず、能力によらず、わたし<神>の霊によって」(ゼカリヤ4章6節)、イエス様の教会を建てられる。

たとえ、誰の助けがなくても、神の声を聞いて従う自分の歩みが、恵みによって用いられ、御言葉に従う者たちの群れが起こされると信じるべきだ。遣わしてくださった方を信頼して、大使として、揺るがない心で、神のご介入を待つ態度が求められる。

第2に、人間関係を築くスキルだ。未信者と友だちになり、自分の弱さを率直に述べ、自由に助けたり助けてもらったりできる能力。信者に対しては、互いに罪を言い表すことができる「気の置けない親密な関係」を築くスキルである。

ルカの福音書10章で、弟子たちが平安の子に会って、まずしたことは、平安を祈ることだった。相手の祝福を心から願って祈った。次に、出された物を食べた。自分を開き、相手の文化を受け入れ、へりくだって、相手に助けてもらうことができたのだ。

イエス様は、スカルの井戸に座っていた女性に、「わたしに水を飲ませてください。」と言うことで関係を築き、深い会話に導かれた。また、ザアカイの家に泊めてもらうことで、彼を根本的な悔い改めに導くことがおできになった。

人と時間を過ごし、キリストに対する憧れを人々の心に植え付けなさい。収穫のためには、畑に出て行かなければならない。互いに個人的な生活を分かちあう時間が、テレビやインターネットやハイテク機器に向かう時間よりも優先されるべきだ。

第3に、隣人を愛し、「しもべ」として仕えるスピリットだ。イエス様は、弟子育成の仕上げとして、食事の後、上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとい、たらいに水を入れて、弟子たちの足を洗われた。しもべとして仕える模範を示すためだった。

この日、イエス様は、「わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです。」(ヨハネ15章15節)と語られた。互いに愛しあうことが、父の御心の集約であり、弟子の歩みを貫く心得だった。

リーダーがへりくだり、自分を犠牲にして人々に仕えるという霊的な資質を持つならば、教会全体に影響を与える。決して人々を支配せず、ただ、仕え、ただ祝福する。そうするときに、愛しあう行為が共同体の中に新しい文化として根付いていく。

この3つのDNAが、関わっている人々に根付いたら、教会開拓者はその地域を去ることを考え始めなさい。ピリポは、サマリヤで大きなリバイバルを経験したが、もし彼がいつまでもそこに留まっていたら、エチオピアの宦官とは会えなかっただろう。

移るときには、救われた人たちがどう育っていくのかと心配するかもしれない。しかし、DNAを植え付け、次の地域(領域)に移っていく決断が求められるときがある。すべての国民に福音を伝えることが、主から与えられたミッションだからだ。

 

使徒の働き8章26節
主の使いがピリポに向かってこう言った。「立って南へ行き、エルサレムからガザに下る道に出なさい。」