■助演女優賞
アラム軍の最高司令官ナアマンが、イスラエルの預言者エリシャを通して、重い皮膚病をいやしてもらうという記事が、第2列王記5章に出てくる。このストーリーには、1人の重要な脇役が登場する。それは、ナアマンの妻に仕えていた少女だ。
彼女は、アラムの略奪隊によってイスラエルから拉致されて奴隷となった。少女は女主人に言った。「もし、ご主人さまがサマリヤにいる預言者のところに行かれたら、きっと、あの方がご主人さまのらい病を直してくださるでしょうに。」
彼女の言葉は、ナアマンに伝えられ、やがて彼は、イスラエル王に宛てたアラム王の親書を携えて、イスラエルを訪問することになる。名前も記されていない少女の言葉が、外交問題に発展するほどの影響力を持ったということだ。
少女は、女主人に信頼され、その言葉にも説得力があったに違いない。外国人で、奴隷で、年少で、しかも女性という、この上もなく弱い立場の人が、神に用いられているところに、この物語のもう1つのメッセージがある。
イエス様を聖霊によって懐妊した少女マリヤの賛美を思い出した。彼女は、「低い者を高く引き上げ、飢えた者を良いもので満ち足らせ」(ルカ1章53節)る「力ある方」に向かって歌った。神はこのような逆転劇がお好きなのだ。
異国で奴隷となっても、嘆いてばかりいないで、その苦難のただ中で、しもべとして忠実に仕え、ここぞという時には大胆に神の御力を宣べ伝える。そういう脇役には、エリシャやナアマンに勝るとも劣らない賞与が贈られるだろう。
第1コリント1章27-29節
神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。これは、神の御前でだれをも誇らせないためです。