■育てる側の「分」
双方向で対等な関係の中でしか創造性は継承されない。トップダウンの関係の中で、相手が萎縮しているときには、相手を意のままに動かせるかもしれない。ところがそれでは、自分のいない所で、自律的に神に向きあう人を育てることはできない。
確かに、ある状況の中で、神と対話しながら生み出された思索が、他の状況下で生活している人たちの参考になることがある。しかし、借り物のままでは、応用が効かない。次世代に継承することも難しい。依存を促進させて、自立を妨げてしまう。
本当に相手に自立してほしいと思うなら、自由に発想し、自由に対話できる場所が確保されなければならない。多くの大切なことは、萌芽期のひらめきに含まれている。それが展開していくためには、多くの励ましと試行錯誤が必要なのである。
どうしても自分がいなければ、相手を助けることができないと思ってはならない。かえって、かかわり始めるときから、去るタイミングについて考えておくべきだ。分をわきまえて、許された期間だけ一緒にいて、あとは神に委ねてしまいましょう。
第1コリント3章5-9節
アポロとは何でしょう。パウロとは何でしょう。あなたがたが信仰にはいるために用いられたしもべであって、主がおのおのに授けられたとおりのことをしたのです。私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。それで、たいせつなのは、植える者でも水を注ぐ者でもありません。成長させてくださる神なのです。植える者と水を注ぐ者は、一つですが、それぞれ自分自身の働きに従って自分自身の報酬を受けるのです。私たちは神の協力者であり、あなたがたは神の畑、神の建物です。