■リーダーの指名
テモテは、エペソに散在する諸教会を指導していた。当時、教会には偽教師たちが暗躍していた。パウロはテモテに個人的な書簡を送り、個人の家で開かれていた諸教会が異端から守られるように、ふさわしいリーダーを指名するように勧めた。
リーダーの資格は、「非難されるところがなく、ひとりの妻の夫であり、自分を制し、慎み深く、品位があり、よくもてなし、教える能力があり、酒飲みでなく、暴力をふるわず、温和で、争わず、金銭に無欲で、自分の家庭をよく治め」(第1テモテ3章4節)ることだった。
これは、教会のフルタイムのスタッフの雇用条件ではない。当時、巡回していた教会開拓チームのスタッフたちは、基本的にフルタイムだったが、各個教会のリーダーが教会から受け取るものは一時的な謝礼金で、彼らは別に職業を持っていた。
「よく指導の任に当たっている長老は、二重に尊敬を受けるにふさわしいとしなさい。」(第1テモテ5章17節)にある「尊敬」とは、謝礼の意味だ。ヘブル的思考では、「尊敬」は単なる態度や言葉だけでなく、具体的に形に表わされるのである。
謝礼を受けるべき長老や監督などのリーダーは、宣教の現場から切り離された教育機関で育てられたのではなく、相互の成長を助け合う交わりの中で勝手に育った。「鉄は鉄によってとがれ、人はその友によってとがれる。」(箴言27編17節)のだ。
こういう要件を満たす人なら、わざわざ指名しなくても、すでに教会の中で、リーダーとして機能していたはずだ。だから、指名は、権威ある上層部からの任命というよりも、すでに共同体内で自明となっている神の働きを確認する意味があった。
このような指名がなされなかったときにも、教会は生き生きと活動していた。テモテが派遣されたエペソの教会の中には、「知性が腐ってしまって真理を失った人々、すなわち敬虔を利得の手段と考えている人たち」(第1テモテ6章5節)がいた。
パウロは、異端に対抗するために、生き方の模範を示すことができるリーダーの指名に踏みきった。しかし、より大切なことは、小さな群れを励ます主の御手を認めることである。指名なしでもリーダーが出現する環境なら、その方が自然だと思う。
使徒の働き11章19ー21節
さて、ステパノのことから起こった迫害によって散らされた人々は、フェニキヤ、キプロス、アンテオケまでも進んで行ったが、ユダヤ人以外の者にはだれにも、みことばを語らなかった。ところが、その中にキプロス人とクレネ人が幾人かいて、アンテオケに来てからはギリシヤ人にも語りかけ、主イエスのことを宣べ伝えた。そして、主の御手が彼らとともにあったので、大ぜいの人が信じて主に立ち返った。