■あなたはどのタイプ?

 

最近、祈りの要請の内容と、依頼主の情熱に関連性があることに気付いた。リーダーを育てること、神の心を知ること、人が救われること、関係が回復すること、真理を究めること。神がその人に与えられた召しが、祈りの要請に反映されている。

たとえば、ある婦人は、「祈りのリクエストがありますか」と聞くと、決まって「福音を大胆に語ることができるように祈ってください」と言う。この人は、楽しそうに伝道する。イエス様を知らない人を見つけると、じっとしていることができない。

別の青年は、「神様とメチャ仲良しになれるように、そして、友達とよい時間を過ごせるように祈ってほしい」と言う。彼は、心傷ついている人を見ると、その人にやさしく寄りそう。その青年といると、何も話さなくても一緒にいるだけで癒される。

神は教会に多様な賜物を与えられた。エペソ人への手紙4章11節に、「こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。」とある。それぞれが神からの賜物だ。

先の婦人は伝道者として機能し、青年は羊飼いの役割を果たしているとは言えないだろうか。特定の人がいつも特定の役割を果たすと考える必要はないが、自分に与えられた情熱を知ることで、キリストのからだの他の肢体を尊重することができる。

私はときどき、次のような質問をする。「4人の人がいるとします。あなたは、どの人ともっとも長く時間を過ごしたいですか。1人目は、リーダー候補者、2人目は、未信者、3人目は、傷ついている人。4人目は、明らかに思い違いをしている信者。」

使徒は、新しい領域で働きが進展するためにリーダーを育てようとする。伝道者は、失われている人たちがキリストに出会うことを求める。牧師は、ケアの必要な人たちに愛を示す。教師は、思い違いをして混乱している人たちを教えようとする。

それでは預言者はどうか。預言者は、人よりも神と時間を過ごそうとする。賜物は「からだ」に与えられたものだ。だから、ある局面では、皆が預言者のように静まる時があるし、ある現場では、教師の情熱を持つ者が使徒的な役割を担うこともある。

5つの機能を、固定的に特定の人と結びつけて理解すると、かえって不自由になる。たとえば、ヨハネは派遣されている間は使徒と呼ばれたが、地方教会に留まると長老と自称した。使徒の働き13章1節の構成は、エペソ4章11節とは違う。

自分の情熱は何で、相手の情熱とどう違うか。相手の賜物が引き出され、持ち味が生かされるために、どう仕えることができるか。自分に与えられた召しの領域で、働きが実を結ぶために何に取り組むべきか。どのように相手と組み合わされるか。

聖霊が「この時」に、自分、あるいはチームの誰かに、させようとしておられる働きは何か。他のネットワークからの助けが必要か。功名心はないか。神の栄光だけを求めているか。本当に相手を愛しているか。聞くべきことはたくさんある。

 

ペテロの第1の手紙4章10節
それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。