■男に求められていること
男性と女性の脳にはほとんど違いがない。相違があるなら後天的要因による。女性は男性の「助け手」(創世記2章18節)とあるが、それは補助者という意味ではなく、向かい合う者という意味だ。元来、男女は神の前に平等で、仕えあう者である。
しかし、妊娠や授乳の子育てのプロセスに、男性は直接的に関わることができない。夫は妻を抱きしめることを通して、間接的に子どもを抱くことができる。妊娠・授乳期の女性を外敵から守り、子育ての環境を確保することが男性の務めと言えよう。
「男は、怒ったり言い争ったりすることなく、どこででもきよい手を上げて祈るようにしなさい。」(第1テモテ2章8節)と注意されているのは、女性と子どもを守るために、男性が争いの現場に出なければならない場面に、より多く遭遇するからか。
いくら男性が家族を守ろうとしても、自分の力でそれをすることはできない。「主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい。主が町を守るのでなければ、守る者の見張りはむなしい。あなたがたが早く起きるのも、おそく休むのも、辛苦の糧を食べるのも、それはむなしい。主はその愛する者には、眠っている間に、このように備えてくださる。」(詩篇127篇1-2節)
眠っている間、つまり、怒ったり争ったりしようとしてもできない状態の時にさえ、なくてならぬものを備えてくださる方に信頼し、祭司として祈りの手を上げることが、男に求められていることだ。最近、夕方にもデボーションをするようになった。
ピリピ人への手紙4章6節
何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。