■教会を開拓する?

 

20年前、教会に小集団ダイナミクスを導入すべきだという論文を書いた。10年前には、未信者の世界の中で、小集団を新しく作る方が良いと気づいた。そして、最近理解し始めたことは、わざわざ私たちが、小集団を作る必要がないということだ。

なぜなら、小集団はすでに世界に満ちているからである。少し大きめのレストランに行けば、人々が小集団を形成して生活していることが一目で理解できる。人は小集団なしには生きていけない。世界に必要なのは、小集団ではなくてキリストだ。

ハウスチャーチやセルグループを開拓するという考え方は、果たして聖書的なのだろうか。イエス様が派遣されたのは、2人組の弟子だった。彼らはしばらく滞在し、その後引き上げてきた。彼らは教会を開拓したというよりも、平安をもたらした。

弟子たちは、家から家へと伝道して回らなかった。複数の家から回心者を集めて、聖書研究会を始めなかった。弟子の到着以前にすでに存在していた自然な家族中心の交わりが、聖霊に導かれて、そのままキリスト中心の交わりへと変化していった。

「あなたがたの内には、御子から注がれた油がありますから、だれからも教えを受ける必要がありません。この油が万事について教えます。」(第1ヨハネ2章27節)弟子たちがしたことは、家族をキリストに結びつけることと、模範を示すことだった。

イエス様は、「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。」(マタイ16章18節)と言われた。だれもイエス様の教会を開拓することはできない。イエス様がイエス様の教会を建てられる。そのことにどれだけ信頼できるかが、今問われている。

 

ルカの福音書10章5-9節
どんな家にはいっても、まず、『この家に平安があるように。』と言いなさい。もしそこに平安の子がいたら、あなたがたの祈った平安は、その人の上にとどまります。だが、もしいないなら、その平安はあなたがたに返って来ます。その家に泊まっていて、出してくれる物を飲み食いしなさい。働く者が報酬を受けるのは、当然だからです。家から家へと渡り歩いてはいけません。どの町にはいっても、あなたがたを受け入れてくれたら、出される物を食べなさい。そして、その町の病人を直し、彼らに、『神の国が、あなたがたに近づいた。』と言いなさい。