■金銭管理(その2)捧げものは交わり

 

神は日ごとの糧を与えられる。健康が保たれ、努力する力が心に注がれ、環境が整えられ、様々な人々に助けられて、今日もご飯を食べることができる。神が今日で終わりと言われたら、人生も終わる。私の経済生活は、一重に神に依存している。

この神に、どのように尊敬と感謝を表わすことができるだろう。「あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。」(ローマ12章1節)全身全霊で、日々神に仕える。

収入全部を捧げても、捧げ過ぎということはない(第1歴代誌29章14節)。しかし、神はあわれみのゆえに、「さあ、喜んであなたのパンを食べ、愉快にあなたのぶどう酒を飲め。」(伝道者9章7節)と言われる。私の喜ぶ姿を見て、神が喜ばれる。

だから、与えられた収入で、慎み深く生活し、残った金銭は神にお返しして感謝を表明し、神への依存を確認するのである。そういう意味で、献金は神との交わりの道である。「神は喜んで与える人を愛してくださいます。」(第2コリント9章7節)

それは、「香ばしいかおりであって、神が喜んで受けてくださる供え物」(ピリピ4章18節)である。断じて、神を操作したり利用したりするために捧げてはならない。あくまで、御子を与え、万物をも与えてくださることに対する感謝の表現だ。

今与えられているもので満足し、喜んで捧げることを通して、富に仕える誘惑から守られる。また、「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」(ヘブル13章5節)と言われた主が、私を養い、楽しませてくださることを経験する。

「世の心づかいや、富の惑わし、その他いろいろな欲望」(マルコ4章19節)が忍び込んでくる前に、「ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりに」(第2コリント9章7節)定期的に献金することをお勧めする。

余ったら捧げると考えていると、捧げるチャンスを失う。収入を得た時点で、自分で割合なり金額を決めて、それを神のためにまず取り置いておく(第1コリント16章2節)。「残り物」でお茶を濁してはならない。心から捧げて、神を楽しみなさい。

 

マタイの福音書6章33節
だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これら のものはすべて与えられます。