■伝道(その1)光を輝かす

 

人は、成熟するまでは、まともに働くことができないという根拠なき通念がある。だが実際は、信じたときに、土の器に「測り知れない力」(第2コリント4章7節」が宿っている。主の内住の瞬間に、「世界の光」(マタイ5章14節)とされている。

霊的な幼子も、大人と同様に光として輝く。光を見る人たちが礼拝者に変えられるためだ。「あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行ないを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」(マタイ5章16節)

良い行ないとは、第1に神を愛する行為である。神に対していつも、感謝と喜びを表現し、日々語られる神の声に聞き従うことだ。第2に、隣人を愛することである。自分勝手な要求を脇に置いて、自分がしてほしいと思うことを隣人にもすることだ。

それは、生涯かけて追い求める目標ではあるが、回心直後の信者にも、神に信頼しつつ隣人愛を実践するための「力と愛と慎みとの霊」(第2テモテ1章7節)が与えられている。「心の奥底から、生ける水の川が流れ出」(ヨハネ7章38節)ている。

「生ける水の川(複数)が流れ出ている」状態が、すべての信者のリアリティである。それを認めるのが信仰だ。「まだまだ」という人は、並外れて偉大な力が神から与えられているにもかかわらず、それを行使する機会を自ら手放してしまっている。

すべての信者は、「山の上にある町」(マタイ5章14節)のようで、隠れることができない。他ならぬ神が光とされたのだから、輝くことができると信じて、神を愛し、隣人を愛し始めなさい。周囲の人々はそれを見て、父を礼拝するものとされていく。

内から溢れる力によって、隣人を愛することが伝道だ。とは言え、溢れる状態になるのを待つ必要はない。愛し始めるなら、「自分のうちから力が外に出て行ったことに気づ」(マルコ5章30節)くようになる。内なるイエス様が人々を愛されるのだ。

隣人を愛するという自覚を持ち、「羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている」(マタイ9章36節)人々の行く末を思いなさい。相手の立場に立って、何とかお役に立ちたいと思いなさい。自分と神との関係を、実際に口に出して表現しなさい。

朝起きたら、その日会う可能性がある人々の顔を思い浮かべ、3つのことを神に問いなさい。1)「しもべ」としてどう仕えることができるか、2)どのように神と私との関係を示すことができるか。3)具体的にどんな言葉を相手に投げかけるか。

相手のために祈ることも1つの道である。イエス様は平安を祈りなさいと言われた。また、会話の中で、神が自分をいかに大切に扱っておられるのかを、短い言葉で表現するのも良い。たとえば、「あなたも神に愛されています。」などが挙げられる。

誰よりも羊飼いであられるイエス様が、人々をご自身に引き寄せようとされているのだから、道を開き、具体的な言葉を与えてくださる。たとえ、よくわからなくても、毎朝神に同じ質問をすることで、仕えるモードで一日を始めることができる。

 

第2テモテ4章2節
みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。