■伝道(その2)自分の経験を話す
親身に相手のことを思って仕える行為や、神と自分との関係を表現する言葉に反応する人がいたら、どうすればよいだろう。「実りは多い」(ルカ10章2節)ので、そういう人は、ここかしこにいる。その人の人脈が神の国の拡大のために用いられる。
イエス様がゲラサ地方に行かれたとき、ある男から悪霊を追い出された。解放された後、お伴を申し出た男に、イエス様は言われた。「家に帰って、神があなたにどんなに大きなことをしてくださったかを、話して聞かせなさい。」(ルカ8章39節)
彼はデカポリスと呼ばれる故郷に戻り、自分の経験を分かち合った。「私が衣服もつけずに墓場で暴れていたとき、ナザレのイエスという方が来て、悪霊を追い出してくださった。ほら、今は正気でしょ。あんなことは神様以外できないことです。」
三位一体とか神人二性一人格などという教理を教えた訳ではない。彼の以前の状態を知る家族や知人にとっては、変えられた人生こそが説得力のあるものだった。デカポリスから「大ぜいの群衆がイエスにつき従った。」(マタイ4章25節)とある。
「神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められた。」(第1コリント1章21節)洗練されたイベントや芸術的な説教よりも、神はあえて飾らない証を用いることにされた。今日信じた人も今日からできることだ。
それで私は、回心直後の人が、その日から、隣人に自分の証を分かちあうことができるように訓練している。「あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい。」(第1ペテロ3章15節)
訓練のポイントは3つある。第1に、「ビフォーアフター」を明確に表現すること。回心前はどんな状態で、どのようにイエス様と出会い、その後どう変わったかを、90秒で話すことができるように助ける。神の働きの大枠の構造を理解するためだ。
第2に、聖書の言葉を1つ選ぶ。私の人生は、神が書かれた「キリストの手紙」(第2コリント3章3節)である。経験を聖書に結びつけることで、「主を認め」(箴言3章6節) ることができる。また、聞き手に御言葉の種を植え付けることができる。
第3に、自分の証を聞いた人々が、父をあがめるようになるというイメージを持つ。延々と苦労話をしてはならない。「自分が求めたから見つけた」と言って、神の働きを自分の手柄にしてはならない。証言する人の喜びが、聞き手の心に伝わっていく。
ローマ人への手紙10章15節
良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。