■ミツォ族から学ぶこと

 

19世紀後期に、インド北東部のミツォラムという地区に住む「ミツォ」と称する部族への宣教活動が始まった。彼らは首狩族だったが、今ではそこから多くの宣教師が送り出されている。この働きから学べることは、少なくとも3つあると思われる。

第1に、宣教地の人々の世界観に配慮した福音提示がなされた点だ。宣教師たちは、最初は伝統的な神・罪・救いの三段論法で説得しようとした。しかし、やがて、彼らの世界観の中に罪概念がなく、罪からの救い主を求めてもいないことに気づいた。

彼らのニーズは、森の中に住むと考えられていた悪霊たちに対する恐れからの解放だった。そこで、彼らは、悪魔とその力に打ち勝たれたイエス様を伝えるようになった。その結果、部族全員が救われるという現象が、次々と起こるようになった。

第2に、現地のリーダーが育てられた点だ。ミツォ族は、80の地域に分散して放牧生活をしていた。宣教師は早い段階で、各集落のリーダー自身が、基礎教理や、文字を読むスキル、そして隣人に福音を伝えることを他の人々に教えるように導いた。

後日、インド政府がミツォラム地区の独立を恐れ、外国からの影響を排除するために宣教師を追い出した。だが、1989年時点で、ミツォ族が支える地区内他部族への宣教師が88名いた。それに加えて、インド各地に宣教師を50名派遣していた。

夕食毎に、一握りの米を宣教師サポートのために取り置いた。青年たちは薪を集め、それを売って宣教資金にした。「満ちあふれる喜びは、その極度の貧しさにもかかわらず、あふれ出て、その惜しみなく施す富となった。」(第2コリント8章2節)

第3に、福音宣教者の訓練だけではなく、共同体開発がなされた点である。識字教育や、公衆衛生の啓蒙がなされた。ミツォ独自の音楽で、数々の宣教の歌が作られた。ミツォ出身宣教師たちの感動的な話が、学校で子どもたちに語り継がれている。

ミツォ族は、福音宣教を民族としての責任、また、存在理由だと考えている。パトリック・ジョンストンは言う。「ミツォ族ほど人口に対する宣教師派遣の比率が高い国は、地上に存在しなかった。」と。日本人が記録を塗り替える日を夢見つつ…。

 

第1コリント9章18節
私が福音を宣べ伝えても、それは私の誇りにはなりません。そのことは、私がどうしても、しなければならないことだからです。もし福音を宣べ伝えなかったら、私はわざわいに会います。

参考資料 http://wongfongyang.blogspot.com/2008/05/poor-church-that-outdo-others-in.html