■弱いときにこそ
ある婦人が、夜中に胸が苦しくなった。心臓に持病があり、若い頃は救急車で運ばれるようなこともあったが、最近は元気に過ごしていた。前回胸が苦しくなったときは、枕元にある聖書を開いて読み、イエス様の名を呼んでいるうちに楽になった。
開いた箇所は、「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。」(イザヤ41章10節)だった。彼女は力強い神の救いを経験した。
今回は別のことをするように導かれた。イエス様の十字架の苦しみを思い浮かべた。「十字架につけられたイエス」(ガラテヤ3章1節)様を目の前にイメージしながら、主がお受けくださった1つひとつの傷を数え、その苦しみを思って感謝を捧げた。
そうしているうちに痛みが「スー」と引いた。今度は、「彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。」(イザヤ53章5節)という言葉を経験できた。死ぬかもしれないという時に、日ごろの信仰が明らかにされる。生活に根ざした証には説得力がある。
第2コリント12章9、10節
しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。