■敵の視点で物を見る
私たちは、どのようにしたらより効果的に福音を伝えられるか、またどのようにしたらより多くの人がイエス様を信じるか、さらには神の国をこの世に実現できるか、といった視点で考える癖がついていると思う。
しかし、逆に考えてみることが有効な場面もあるのではないか。イエス様と、使徒や預言者たち(つまり聖書)が指し示している世界を実現するのを妨げるために、敵ならどう考え行動するか、という視点である。敵(妨害者・ライバル)の立場に立ってモノを考えるということは、ビジネスでもその他の分野でも大切なことだ。
「私が、もしイエス様と、使徒や預言者たち(つまり聖書)が指し示す目標の実現を妨害する立場ならばどう行動するだろうか。」
キリスト教を邪教と認定したり、教会を迫害したりしても、役に立たないことは分かっている。私が12年働いた中国のクリスチャンたちが、それを証明してくれたし、聖書的にも、歴史的にも、迫害が福音宣教の妨害にならないことは常識である。
以下はあくまで、「私が敵ならどうするか」という仮定の元で考えた個人的な見解であって、正しい宣教方策を指し示そうとしたり、だれかを批判しようとしたりする意図はまったくない。