■等身大の証言

先日ある飲食店で、昨年藍綬褒章(らんじゅほうしょう)を受賞された地域の重鎮と同席させていただく機会がありました。すでに他界している父よりも4、5歳、歳下の方で、父とは生前、同じ慈善団体に所属していた関係で、親密な交流がありました。

短く言葉を交わしただけだったのですが、その会話のほとんどは父の人柄についてでした。「あなたのお父さんは、他の誰とも違う人だった。自分のことは何も言わなかった。人の話を良く聞いて、いつも正しい判断をされた。一緒に仕事をしたし、一緒に良く遊んだ。 私はあなたのお父さんからたくさん教えてもらった。私が今日あるのは、あなたのお父さんの御陰です。」

嬉しそうに懐かしそうに私の顔をしげしげと見ながら、ゆっくり話してくださいました。なにやら恥ずかしかったのですが、誇らしくもあり、嬉しくもありました。なによりも、地域の人たちと、そのような深い友情関係を結ぶことができた父は、幸せな人だったんだなあと思いました。

また、私の父の評価はともかくとして、日本人にとって人から尊敬される人は、調和的な人間関係を築く人なのだと改めて思いました。

コリント人への第1の手紙13章は、愛の賛歌と呼ばれている箇所で、よく結婚式で朗読される文章ですが、そこには、他者とどう関係を築くかということが、愛を説明する形で伝えられています。

「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。」(第1コリント13: 4-7)

2011年の東北大震災の後、略奪、強盗、割り込みなどをせず、礼儀正しく、譲り合いながら、秩序ある行動をした日本人の姿が世界中に報道されました。もちろん、全員がいつもそうではないのですが、日本人の理想型が、この聖書の教えと親和性があり、しかも、そのことが世界に報道される程度には実現しているということも事実です。