■光の中を歩む

長老ヨハネは、ヨハネの第1の手紙の中で、「罪ある人間」が神との交わりを続けることで「完全な者」に変えられていく過程について解説しています。

「もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」(第1ヨハネ1: 7-9)

◯光の中を「罪ある私」が歩む

「光の中を歩む」というのは、イエスさまが「こう思いなさい」と言われる通りのことを思い、時々に導いてくださることをそのまま語り、王であられるイエスさまの命令を全部実行するという、神と結びついた生き方のことです。

光の中ではすべてのものが明らかにされるので、隠れた思いを持ち続けることはできません。私の思い、私の願い、私の計画、私の夢が、神の思い、神の願い、神の計画、神の夢と合致しているかどうかが検証されます。

では、光の中を歩む者に罪はないのでしょうか。ヨハネははっきり述べています。「もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。」

つまり、「罪ある私が光の中を歩む」というのが、正しい現実描写です。逆説的ではありますが、罪ありと告白するときに、私たちは自分を欺いておらず、真理が私たちのうちにある状態なのだということになります。