■キリスト教カルト問題と教会に内包する歪み

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昨年イスラム国による数々の虐殺やテロが大きく報道され、今も世界中で大問題となっている。それに対するイスラム教会側の反応は「あれはイスラムではない」という「切り捨て型の宣言」だ。ISのような動きを防止するため、抜本的な対策を取るように努力している、などという話は聞こえてこない。これは外部の人間には少々無責任な態度に見える。

しかし同じような態度は、キリスト教カルト問題に対するキリスト教会の中にも見られる。わたしたちは、異端的なグループを、単に特殊な事例ととらえて、自分たちとは無関係だと主張するだけでよいのだろうか。それよりも、これは自分たちの中にある何らかの歪みの表われかもしれないと謙虚に考え、より健全なキリストのからだを実現するための考察を行なう機会としてはどうだろうか。


昨年はイスラム国(IS)のテロに関するニュースが数多く報道された。日本人も二人殺害され、パリでは同時多発テロが実行されてしまった。彼らの本拠地では継続的に残虐行為が繰り返されていることも伝えられた。

そしてこれらの事件に対するイスラム教徒やイスラム教会の一般的な反応は、あれはカルト的な集団で正統なイスラム教集団ではないとか、自分たちとは関係ないということを強調するものが多かった。