■焼香について考える
数ヶ月前から、四股を踏むことが日課となりました。四股は究極の股関節柔軟化ストレッチであり、股関節周囲のインナーマッスルを鍛え、身体の軸を作るために有効なエキササイズなのだそうです<http://www.kotubankyosei-iyashiya.com/health/shiko/>。米大リーグのイチロー選手や黒柳徹子さんも日常的に四股を踏んでいるとお聞きしています。
最近のことですが、地方の相撲協会副会長の講演を聞きました。当然、四股のことも話題になりました。彼によると、四股は実は当て字で、正しくは「醜(しこ)」と表記するとのこと。醜とは、地の下から顔を出して暴れようとする強く恐ろしい荒ぶる化け物のことで、醜を踏むことで、大地の邪悪な霊を踏み鎮めて、豊作をもたらすという神事なのだそうです。
遡れば、四股に以上のような宗教的意味があったということと、現在、健康のために私が四股を踏んでいることとに、直接的な関係はありません。四股に限らず、宗教行事に由来する習慣は山ほどあるのですが、一般の人たちはそんなことは意識せずに生活しています。
たとえば、花見もそうです。古代の農村では、寒い冬の間に山に住んでいた山の神様が、春になると里に下って桜に宿り、その後は田に入って田の神様、さらには稲の神様となって、稲の成長と実りを司ると信じられていました<http://www.bite-japan.com/kako/saijiki04-j.html>。つまり、桜の開花は神の到来の徴だったので、木の根元に酒や食べ物を供えて神を歓迎したという説があります。
元を正せば花見が豊作祈願や占いという宗教行事だったという理由で、花見客は皆、偶像礼拝者だというのは、時代や文化の差異を無視した乱暴な議論です。そのように宗教的起源を探り出して、あれはダメだ、これは避けろ、などと言い出すと、生活ががんじがらめになってしまいます。
つまり、起源は宗教的でも、現代では社会的な意味しか一般的に意識されていないのであるなら、それは十分に世俗化されていると見なされるということです。花見に来る人は、花の観賞や組織の結束のために来ているのであって、桜に宿った神を拝みに来ているのではありません。当初の宗教的機能はすでに失われています。
さて、それでは、焼香はどうでしょうか。