・イスラム教徒の友人にイエス様を紹介する原則の日本への適用

日本では、「伝道」をすると、周囲の人から非難や拒絶されることはあっても、警察沙汰になることも、いのちを狙われることもありません。以前の私は、それを「信仰の自由」と呼んで、自分の国に迫害がないことを感謝し、一層「伝道」に励みました。

イスラム圏に移り住んで最初は、これまで自分がやっていたように「伝道」できなくて、不自由に感じました。それでも一人でも多くの人を救いに導きたいと一生懸命「伝道」しました。

けれどもその結果、イエス様を信じた人たちの多くは長続きしませんでした。また、すぐに信仰を捨てたわけではないにしても、多くの人はただ単に私たちクリスチャンと同じような生活習慣をもつようになっただけでした。つまり、私が生み出していたのは組織的な宗教としてのキリスト教の信者にすぎなかったということに気付いたのです。

それから私の模索が始まりました。自分の考え方が仲間のクリスチャンから裁かれるのではないかという恐れがあり、自分が本当に感じていたことをオープンに話すことはなかなかできませんでした。でもこっそり違うアプローチをするようになりました。