■地域開発試論(1) – 地域開発におけるパラダイム転換
紹介文
戦後復興と高度成長という人口急増の局面では、日本の中央集権システムは効率よく機能し、地方は中央からの仕送りをインフラ建設やその他の不動産形成のために供給していました。しかし、少子高齢化の人口減少局面では、中央集権システムに頼らずに、地元産業の担い手と起業家が、民間主導で、自らの事業展開によって利益を生み出しながら、地域を開発することが求められています。
役所が提示する先進成功事例を参考にして、コンサルタントに丸投げし、税金を使って地域を活性化させようというような他力本願のアプローチで、息の長い開発はできません。元々あった歴史や資源や環境が用いられ、身の丈にあった、特徴を生かした産業開発を、地元主導、しかも起業家主導で、取り組むべきです。
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第2次世界大戦が終わった後、焼け野原の中から、日本の経済は驚異的なスピードで回復しました。「Japanese Miracle (東洋の奇跡)」と言われる所以です。
ベビーブーマーの受け皿となった郊外のマンモス小学校では、1クラス50名のクラスが、各学年十数組ずつあったと聞いています。人口急増のために小学校建設が間に合わず、休み時間には校庭も廊下もトイレも、キャパ超えの超過密状態でした。
小学校を次々と新設しなければならないほど、その時代は、インフラや不動産に対する需要が高かったのです。当時の政治や行政の課題は、いかに迅速に、旺盛な消費意欲を持つ人たちにモノを供給するか、ということでした。
その時代には、需要を喚起する必要はありませんでした。急ピッチに学校や行政施設や道路や駅や工場や高層ビルを建設することに、疑問を持つ人はなかったからです。
この戦後復興と高度成長という局面では、日本の中央集権システムは効率よく機能しました。戦後経済を復興、発展させ、国民生活を安定させて、先進経済国に追いつくという目標を追求するためには、中央政府の官僚システムに権限を集中させて、政策や事業を企画し、一元的に実施することが効率的だったのです。
しかし、大前研一は次のように分析しています。「経済が成熟し、グローバル化の時代を迎えた今は、それが足枷になって改革を拒んでいる。中央集権体制の担い手である中央官僚や政治家は自分たちの利権を守ることに腐心して、『開かれた経済』にしようとしない」(「日本の論点2015-2016」)。