■地域開発試論(5) – 経済効率追求の代償

★今週は、「地域開発試論シリーズ」の「補完性原理とは」と題する記事を配信すると予告していましたが、シリーズの流れを重視する観点から、「経済効率追求の代償」という記事を先にお届けする方がご理解いただきやすいと判断し順番を入れ替えました。「補完性原理とは」は次次回(12月第2週)配信の予定です。悪しからずご了承ください。福田充男

紹介文
経済効率を追求するあまり都市に産業が集積し、そこに地方の青年たちが雇用を求めて流入して過密化の問題が起こっています。こうして、都市住民は企業の部品としてからめとられ、経済効率追求の代償を支払うことになりました。都市には人間をブロイラー化する構造があります。人々は、獄中のような環境でこき使われ、週末に巨大モールで消費することで閉塞感を紛らわせています。

これは、映画「マトリックス」で描かれた「仮想現実を見させられながら、支配者である人工知能にエネルギーを吸い取られて家畜化されている人間」のようです。規格化された清潔で快適な環境はお金で買うことができますが、人、自然、伝統と交流しながら生きるというリアリティのある生活からは遮断されてしまいます。


前回の記事で、都市の産業集積が、経済効率を追求する企業や学者や官僚や個人のニーズに合致したという点が、過密過疎問題の起源だと述べました。今回はこの経済効率追求によって、都市の住民が、どのような代償を支払わなければならなかったかという点について論じることにいたします。