■行動による信仰告白(2) – 私自身というメッセージ

ヤコブの手紙は、諸国に散らされて迫害を受けているユダヤ人に向けて書かれました。著者は、それらの人々に対して、「さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。」(1:2)と勧めています。なぜなら、忍耐を働かせることにより、「何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者」(1:4)となるからです。

これは試練に直面している人たちに対する具体的なガイダンスです。試練なくして成長なし。忍耐なくして全うなし。神の子であられるイエスさまでさえ、「数々の苦しみを通して完全な者とされた」(ヘブル2:10)のですから、その弟子である私たちもまた、試練の中で忍耐を働かせることによって主イエスさまの完全なお姿に変えられていきます。試練の中にいる者たちに「ゴール」を見せることで著者は人々を励ましています。

忍耐の次に必要なのは知恵です。忍耐を要する場面で、具体的に誰に対して、どのような気持ちで、いつ、どのように接するのかは、神から与えられる知恵によって判断することができます。それで、「あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。」(1:5)と教えられています。

どうすればよいかと迷って堂々巡りをしたり、誰かに相談したり、自己卑下したりせずに、まるでソロモンが「聞き分ける知恵」(第1列王記3:11)を神に求めて与えられたように、直接神に願うようにという指示です。ヤコブの手紙では、この知恵を求めるくだりの後、貧しい者と富んだ者に対する教えがあり、再度、試練に耐えるというテーマに戻ります。